井上雄彦の『SLAM DUNK』は、1990年に連載がスタートした。

 この頃、ぼくはまだ4歳だったので、記憶がほとんどない。それから数年して小学校2、3年生くらいの頃から「週刊少年ジャンプ」を読み始めたが、最初は『とっても!ラッキーマン』などのギャグマンガを読んでいたような気がする。親が『SLAM DUNK』の連載終了と同時にジャンプの購読をやめ、それまで親の金で読んでいたジャンプをお小遣いで買わなければならなくなって、ちょっと嫌な思いをしたことを何となく覚えている。

 さて、そんなぼくにとって、『SLAM DUNK』は後追いのコンテンツだ。きちんと全巻読み通したのは、中学に入ってからだったはず。アニメ版は放送されていたから何となく観ていたが、習い事の関係上、飛ばし飛ばしで、そう熱心に視聴していたわけではない……。内容よりも、OP、ED曲の方がはるかに記憶に残っている。当時、ジャンプといえば「こち亀」や「ぬ~べ~」で、「ジョジョ」や「るろ剣」は読み飛ばし、「ドラゴンボール」はアニメで観るものだった。と言っても、出身の山形では1993年3月から1997年3月までフジテレビ系列の番組は視聴できなかったので、リアルタイム視聴ではなく、何ヶ月か遅れて他の系列局で放送していたのだけど。

 なんだか、いま思うと、とても散漫にジャンプコンテンツを消費していたようだ。当時、遊ぶことといえばミニ四駆、ポケモン、ハイパーヨーヨーなどで、ジャンプよりコロコロコミックに載っているおもちゃで遊んでいた方が楽しかった。

 では、『SLAM DUNK』を通読したのはいつ頃なのか。思い出すと、おそらく中学二年生くらいの頃だ。友人宅にあったコミックスを読むために、数日通い詰めた。だが、この頃はまだ「普通に面白いマンガ」という印象しかなかった。しかし、数年後に『バガボンド』を読んで再読してみると、『バガボンド』より面白い。井上雄彦ってギリギリの世界に生きる連中を書きたかったのだな、という認識を持つことになった。

 

「ジャンプ」的なものと桜木花道

 

SLAM DUNK 完全版 1 (ジャンプ・コミックスデラックス)

 

 作品解説の必要はないかもしれないが、簡単に『SLAM DUNK』について。

 主人公の桜木花道は、ヤンキーグループのリーダー格。惚れっぽい性格で今まで50人の女性に告白し、全敗している。そんな花道をふった50人目の女の子は、「バスケット部の男の子が好きなの」と告げ、そこから花道のバスケ嫌いが始まる。

 しかし、ある日廊下を歩いていると「バスケットはお好きですか?」と赤木晴子から声をかけられる。晴子に一目惚れした花道は「大好きです」と思わず嘘をつき、バスケ部に入部することに……。そこから、まったくの「初心者」だった桜木花道が、バスケの才能をみるみる開花させていく様は、とても痛快だ。

 花道は、赤いリーゼントに、短ラン・ボンタンという出で立ちで、喧嘩っ早く、仲間からいじられるとすぐに頭突きをする……など、粗暴な性格だが、一方で情に厚く感情的だ。練習では基礎練習を嫌がり、何かというとスラムダンクを打ちたがる。レイアップや庶民シュート(ジャンプシュート)ではなく、「少年ジャンプ」的な大技で決着をつけたがるのが花道なりの、美意識なのだ。

 こういった大技に憧れる花道は、なんとも「ジャンプ」の主人公らしいキャラクターだ。しかし、彼は「ジャンプ」的な主人公らしくありたいと思ってはいるが、それらの行為は初心者の練習不足によって封じられている。これは、主人公に「バスケットの初心者」という制約を課すことで、作品を「ジャンプ」的なもの——敵に対して主人公が大技を決めて勝利する——から脱臼させていると言えるだろう。

 もちろんれだけでは物語がつまらなくなる。そこで、ある一人の登場人物が重要になってくる。それが、花道のライバルとして登場する流川楓だ。流川の性格は花道とは真逆で、冷静沈着(ただし、眠りを妨げられるとキレる)で、しかも、バスケの実力はナンバーワンルーキーと名高い。そんな流川を、身体能力こそ高いが初心者でヤンキーな花道が追いかけるという対立軸で、ストーリーは進んでいく。あとの展開は、漫画を実際に手にとって、味わってみてほしい。

 

ヤンキーがヤンキーの世界から飛び出した90年代

 

 ところで、こういった「ジャンプ」的なものからかけ離れた展開を進める本作の主人公は、なぜ「ヤンキー」なのだろうか。

 ちなみに、ここでいう「ヤンキー」とは違法行為を犯す連中のことではなく、短ラン・ボンタン、特攻服、リーゼント、上下のジャージ、ゴールドのネックレス、改造自転車、デコトラなどの過剰な装飾であったり、恋愛に際しては妙に奥手で一途で、情に厚く仲間思い……といった美学を持つ人たちのことを呼ぶ。

 いきなり上の問いの答えを言ってしまうと、おそらくそれは90年代だったからだろうと思う。

 あの頃は、ヤンキーの時代だった。と言っても、それはヤンキーが80年代のヤンキー文化全盛期の学校から飛び出して、「ヤンキー的な何か」を社会で発揮した時代だったという意味だ。90年代とは、ヤンキーが様々な分野に広がり、その「天才」ぶりを発揮した時代と言える。X-JAPAN、ダウンタウン、つんく♂、木村拓哉、後藤真希(デビューは99年)など、彼らには「ヤンキー」的な素養がある。桜木花道は、そんな時代の空気の中に生まれたキャラクターなのだ。

 だから、『SLAM DUNK』の比較対象は、メインに「バスケットボール」を扱っている作品ではないし、また、純粋なヤンキーの世界を扱っている『クローズ』(高橋ヒロシ、秋田書店、月刊少年チャンピオン、1990年-1998年)のようなマンガでもない。

 そういった純粋なヤンキー・マンガでは、『SLAM DUNK』の本質にも、90年代文化の本質にもたどりつけないとぼくは思う。同時代に存在したヤンキー・マンガ、それこそ森田まさのり『ろくでなしBLUES』(集英社、週刊少年ジャンプ、1988年-1997年)や、きうちかずひろ『ビー・バップ・ハイスクール』(講談社、週刊ヤングマガジン、1983年-2003年)は、ヤンキーの世界をただ描いたにすぎない。だが、重要なのはヤンキーの世界から飛び出しても、なお「ヤンキー的な何か」を発揮することなのだ。

 ちなみに、この「ヤンキー的なもの」をナンシー関は「銀蠅的なもの」としてこう語っている。

 

私には「世の中のは”銀蠅的なもの”に対する需要が、常に一定してある。そしてその一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代の終わりという時代の「銀蠅的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蠅出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蠅的なもの」はあったし、あり続けているのだ。有識者・無識者にもかかわらず「銀蠅的なもの」に心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占めると私は見ている。勝手に、だが。……銀蠅消滅以降、いろんな流行モノに中に「銀蠅の心」を見つけることができる。ジュリアナ全盛時の露出狂の域まで達した感のあるボディコン(ケンカ上等。気合い一発、って感じがした)、『一杯のかけそば』や『日本一短い母への手紙』などのお涙ブーム(センチメンタリズムの質が非常に銀蠅的)。子供への名前のつけ方、一番直接的なのは「いい不良」というキャラクターが、テレビタレントとして非常に有効であるという現状だ。たとえば、工藤静香をなんの註釈もなしに「イイ女」(ひぇー)とか「大者」と評価している現状。はっきりした趣味のかたよりを主張する髪型・服装のスタイリングだけでも十分だが、作詞家としてのペンネーム「愛絵理」という驚くべきセンス、『極道の妻たち』出演というギャグのような「そのままやないか」ぶり。なぜみんな失笑しないのか(ナンシー関『何が何だか』世界文化社、97年、114〜116頁)

 

(※この本にはナンシー関のヤンキーに関するコラムが上記のものを含め数本掲載されている。)

 

 

 ここで関は、ハッキリと「ヤンキー」という言葉を使っているわけではない。だが、彼女の言う「銀蠅的なもの」を「ヤンキー的なもの」と言い換えることは可能だ。関は、90年代にテレビ番組や芸能人に関してのコラムニストとして活躍し、当時を振り返る文章にはよく引き合いに出される人物だ。そんな彼女が、テレビに出演している「ヤンキー」的な芸能人を観察して書いたこのコラムは、驚くほどに的を射ている。

 とても皮肉たっぷりに、しかしどこか「ヤンキー的なもの」に対してそんなに憎んでいなさそうな関の態度そのものに、まさに「日本人口の約5割が『銀蠅的なもの』に引かれている」という事実が透けて見える。

 

話す「ヤンキー」と書く「オタク」

 

 90年代は、まさに「ヤンキー」的な人たちがバンドをやり、歌手として歌い、演技をし、漫才をし、アイドルプロデュースをし、テレビで活躍した時代だった。なぜ、彼らがこれほどまでに活躍できたのだろう。それは才能のある人が、たまたま「ヤンキー」的だったというだけでは説明がつかない。

 おそらく、「テレビ」と「ヤンキー」――これがキーワードだろう。トークや演奏、ネタ等の身体を用いて自己を表現することにテレビは長けており、ヤンキーはまた、そういったものとの相性も良い。井上雄彦の優れたセンスは、まさに当時「みんなの憧れ」の存在としてテレビで活躍する「ヤンキー」を、身体を用いた「バスケットボール」マンガの主人公に据えたことに現れているのではないか。

『SLAM DUNK』以降、ヤンキーがケンカや族、チームの世界から抜け出して、他分野(ヤクザ以外)で活躍する作品として、森田まさのりの『ROOKIES』(集英社、週刊少年ジャンプ、1998年-2003年)や『べしゃりぐらし』(集英社、週刊ヤングジャンプ、2005年-)が挙げられる。『ROOKIES』はドラマ化や映画化もされ、特に映画『ROOKIES-卒業-』は2009年の洋画・邦画を合わせた興行収入で一位(85.3億円)を獲得している。一方で同じ年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の興業収入は40.0億円(邦画4位)に留まっている。

 しかし、ネットユーザーには『ROOKIES-卒業-』よりも、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の印象が強いのではないだろうか。では、この両作品にある違いはなんだろう。

 ぼくの考えでは、それはインターネットの存在に他ならない。ネット的な言説――それは、”≒オタク的な言説”と言ってしまっていいと思うのだが――は90年代に活躍した彼ら「ヤンキー」へのコンプレックスにより、徹底して「ヤンキー」的なものを排除してきた。だからこそ、ネット発のケータイ小説はあそこまで叩かれ、『ROOKIES』の印象も薄いのだろう。「ヤンキー」的なものとインターネットの相性はどうやら極めて悪そうだ。

 インターネットの登場以降、「ヤンキー」は「DQN」と呼ばれるようになり、その存在は徹底的にdisられ続けた。そういったDQNは古き良き心の優しい「ヤンキー」(例えば、捨てられた猫を拾ってしまうような優しさ、素人には手を出さない……などの義理人情に溢れるキャラクター像である)ではなく、粗暴であり、非常識な行動をとる人たちとして表現されている。

 また、表現という観点でも、「オタク」はインターネットに適している。どちらかと言えば、オタクは身体より言語に頼りがちだし、トークよりもテキストに長けている。テキストベースの「インターネット」とオタクの相性は、極めてよいのだ。おそらく、95年頃——まさに『新世紀エヴァンゲリオン』の放映年——を分水嶺に、テレビとインターネット、ヤンキーとオタクは完全に分断されてしまったのだろう。

 00年代にテレビで「ヤンキー」的な存在として活躍していた島田紳助が象徴的ではないだろうか。島田は「ヤンキー」的な言動(義理人情に溢れ涙もろい)のキャラクターで、驚くほど多くの看板番組を持っていた。しかし、東京03事件以降、いやそれ以前からもいろいろとあったのだろうが、「DQN」としての存在感を遺憾なく発揮してしまい、最後にはヤクザとの関係が明るみに出て芸能界を引退してしまう。この凋落は、ネットの登場以降、「ヤンキー」的なもののイメージが「DQN」的なものへと急速に変化したこととパラレルな現象である。

 

 

 しかし、だからこそ、「DQN」ではなく「ヤンキー」がネットを使って何か面白いことをやり始めることをぼくは待っているのかもしれない。なぜなら日本人には、いまも「銀蠅的なもの」に対する需要が一定数あると思っているからだ。

 ネットとヤンキーを接続する手段――実は、ぼくは端的にそれを「配信」ではないかと思っている。数年前にPeerCastで配信していた「永井先生」というヤンキーをご存じだろうか。ぼくは、このヤンキーのどうでも良いパチスロ実況や、ゲーム実況に魅了され、配信される日を毎日心待ちにしていた。今はいろいろとあって、配信ができない状態になっているが……。

 

永井先生とは (ナガイセンセイとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

 

 しかし、彼の瞬発力あるトークは圧倒的に面白かった。ヤンキーがインターネット(≠テキスト)で活躍するのをぼくは見てみたい――そう、桜木花道がバスケットボールで活躍したように。

 

(了)

参考文献

  • 難波 功士『ヤンキー進化論』光文社、2009年
  • 五十嵐 太郎『ヤンキー文化論序説』河出書房新社、2009年
  • 速水 健朗『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』原書房、2008年
  • 斎藤 環『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 』角川書店、2012年
 
 
 
 
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川口いしや

川口いしや

平日サラリーマン。週末ライター。早く会社辞めたい。グルメとかヤンキーとかについて考えるのが好きです。

 

▼活動履歴▼

1986年〜 山形県にある天童病院の駐車場で産まれる。
2011年〜 インターネットでナンパしてたら「ねとぽよ」にノウハウを書くことになって、今に至る。