ポケモンは僕らが子供のころ愛した赤・緑からこんなにも遠くへ来たのだな——先日、ポケットモンスターの最新作であるブラック&ホワイト2(以下BW2)をクリアしたときの、率直な感想がそれだった。ポケモンの舞台は、すでに日本の地方がモデルでなくなっており、しかもデザイン・設定もまた、初期から大きく変化している。何より、差別の主題を扱ったストーリーが、うまく消化しきれていない。

 

ポケットモンスターブラック2 ポケットモンスターホワイト2

 

  この記事の趣旨は、ポケモンがBW2に至るまでの軌跡を考えることにある。そのために、筆者はポケモンを生み出した二人の重要人物の人間像に光を当てることにする。一人は、ポケモンの生みの親であり、現在も「ゲームフリーク」の代表取締役社長である、田尻智。そして、もう一人はアニメ版「ポケットモンスター」の脚本家であり、シリーズ構成を担当した首藤剛志だ。

 90年代——戦後アニメーションが円熟の域に達し、一方で新興メディアとしてのゲームが急速に市民権を得た時代に、年齢も思想も離れたこの二人の男が出会い、そして生みだされたモンスター・コンテンツが、私たちの知る「ポケモン」だ。BWの挫折を語るためには、まずはこの二人の“父”の物語が語られらねばならない。

 

ポケモンは田尻智の自分史である。

 

 <田尻智の過ごした「郊外」>

 一部のゲームマニアにはよく知られているように、ポケットモンスターは、田尻智の「自分史」的な作品である。事実、ポケモンのデフォルト主人公名である「サトシ」は田尻智の名前から取られている。そう、「サトシ」はまさに田尻智の分身なのだ。

 

田尻 智 ポケモンを創った男 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

 

 田尻智は、東京の町田に生まれ育ったという。小学生時代は、「むしとり少年」として少年時代を過ごした彼だが、中学に上がる頃、都市開発によって自然の遊び場を失うことになる。だが、彼は別の遊びと遊び場をそこに発見する。それが——「デジタルゲーム」であり、「ゲームセンター」という遊び場だった。田尻智は、後に当時のことを、このように語っている。

 

そのころ、僕は町田に住んでて――町田は東京なんだけど、ほとんど郊外。英語で言うと「サバービア」みたいな団地とか新興住宅がガンガン作られていく時代。・・・(中略)・・・そういうザリガニを手づかみで捕る場所もあったんだけど、それが1987年を境にほとんど新興住宅の宅地造成が完了する。田んぼも雑木林もみんな住宅地になって、近所の釣り堀がゲームセンターになるっていう。そうすると虫を捕ったりザリガニを捕ったりって体験が、ある日突然、『インベーダー』を撃つ生活に180度切り替わってしまうわけだ。

宮昌太朗・田尻智『田尻 智 ポケモンを創った男』より

 

 田尻智にとって、自然とデジタルゲームはシームレスなものだった。そのような感性は、おそらく時代の移行期をそのど真ん中で体験した田尻にしか許されないものだ。私たちの知る緑・赤にはそんな彼の固有な体験が反映されている。ポケットモンスターの世界の中に同居する「むしとり少年」的な自然とデジタルなガジェットは、彼の少年期を表現した世界観だ。そうしてポケットモンスターは、「剣と魔法の世界」ではない、「僕達の住んでいる郊外」を舞台にしたRPGになった。

 重要なのは、この「郊外」のゲームへの導入は、かなり自覚的に行われたように見えることだ。田尻は、『ピンク・フラミンゴ』などの作品で有名な映画監督ジョン・ウォーターズへの畏敬の念を隠さない。一見して結びつかない、田尻へのジョン・ウォーターズの影響を繋ぐのが、実はこの「郊外」というタームなのだ。

 

僕がジョン・ウォーターズに影響を受けたのも——彼も結局“サバービア”、郊外生活者として育ったということに視点を置いた作品を作ってるけど、自分のことを振り返ってみると、そういう郊外生活がずっと自分のベースにあったと意識するようになったんですよ。

宮昌太朗・田尻智『田尻 智 ポケモンを創った男』より

 

 彼が影響を受けたのは、「郊外」の物語を描く作家としてのジョン・ウォーターズなのだ。田尻は、自然が失われると同時に町にゲームセンターが溢れて「人工化」していった町田を、ジョン・ウォーターズの描いた郊外に重ね合わせている。

 ポケモンという奇跡もまた、このような郊外への問題意識から生み出されたに違いない。しかも、田尻は「郊外」を「MOTHER」のようにアメリカのその風景そのままに取り入れるのではなく、私たちの生きる日本の現実である「暇な空間」を「ショックに変える」想像力として取り入れたのだ。

 90年代、そんなポケモンに当時の僕たちは夢中だったし、ゲームをやったことがない女の子たちも、ポケモンだけはやっていた。僕は、赤・緑が出たとき、小学生だった。当時のゲームボーイは斜陽ハードで、それまでは据え置き機でゲームをしていた。しかし、ポケモンの登場と同時に、みんながゲームボーイを片手に、外に出て行くようになった。いつでもどこでも、ゲームができるようになったのだ。

 ポケモンは、そうやって出て行った僕たちを取り巻いていた外の世界を、豊かなものに変えた。僕は北海道の郊外に住んでいたので、近所に大きな公園や森があった。あそこにもしかしたらポケモンがいるのかなぁ、という幻視をしていたのはきっと僕だけではないはずだ。

 

<暗い世界観を持つ天才「田尻智」>

 しかし、ポケットモンスターの魅力が「僕らの物語」であっただけだとは思わない。

 思い出してみよう。ポケットモンスターの物語が始まるとき、主人公の家のテレビには映画『スタンド・バイ・ミー』が流れていた。90年代に大流行したモダン・ホラーの巨匠スティーブン・キングの原作を映画化した『スタンド・バイ・ミー』は、アメリカの少年たちが死体を探しに小旅行をする話だ。それを監督のロブ・ライナーは、限りなく美しい体験として描きだした。いつの日も、子供を惹きつけるのは、決して清らかなものだけではない。いや、「死体」のような暗い暴力や不気味さの匂いのするものにこそ、強く子供は惹きつけられるのだ。

 田尻智は、そういう人間の暗部を肯定することのできる感受性の持ち主だった。例えば、先にも書いたように、彼は犬の糞を食べることで有名なB級映画『ピンク・フラミンゴ』の監督ジョン・ウォーターズへの畏敬の念を隠さない。

 

――映画はやっぱりそれ(『ピンク・フラミンゴ』)ですか(笑)。

田尻 そうだね。上映会でインパクトを受けたんだけど。やっぱりビデオが欲しくて、初めてアメリカに言った時にショップをいろいろまわった挙句に買えたという。

――どこらへんがいちばん好きなんですか? 杉森建が拒否しても見続けた魅力は(笑)。

田尻 そうねえ(笑)。ジョン・ウォーターズを分析してみると、僕がさっき振り返ったように”サバービア”、郊外生活者であるってことがポイントなんだよね。で、そこに埋没していくと、限りなくヒマになる。長い目で観察すると、確実に変化しているはずなんだけど、その場で生活している限りは日常に埋没していって、非常に暇である、と。そういう暇な空間をショックなものに変えるというか、人間の見方だったり目線自体が変わればショックになるという。

宮昌太朗・田尻智『田尻 智 ポケモンを創った男』より

 

 随所に挟まれる「きんのたま」ネタ、ユンゲラーの都市伝説のような図鑑の文章、ハナダの洞窟を冒険した果てに出現するミュウツーの姿を初めて見た時の恐怖、あるいはゲームシステムが「支配」「命令」「闘争」であること。そのゲームシステムに、決して心を咎めることなく没入できるストーリー・設定であること。僕は、そこに田尻の、人間の暗部を肯定する特異な感受性を見るのだ。

 しかし、一方でこう思う読者も多いだろう。言われてみればそうだけど、ポケモンって、そんなに暗い話というイメージはないけどなあ、と。実際、ポケットモンスターは、もちろん『スタンド・バイ・ミー』における「死体」のようなおぞましい存在ではないし、虫取り遊びで捕まえる単なる「虫」とも違う。それは、一緒に旅をする「友人」としてのイメージで語られている。一体、そのイメージはどこで作られたのか。

 ——もちろん、その答えを僕たちは知っているはずだ。そう、アニメのポケモン、だ。ポケットモンスターが感情を持った生き物として扱われているイメージの多くは、あのテレビ東京系列で放送されたアニメ「ポケットモンスター」で登場した、ピカチュウやニャースにある。それは誰もが同意してくれるのではないだろうか。そして、彼らの活き活きとしたイメージをポケモンの世界に導入したのが、ゲーム業界の若き天才・田尻智に続く、日本アニメーション業界の大ベテラン、故・首藤剛志だ。

 

ポケットモンスターを二次創作した男、首藤剛志

 

<二次創作の天才「燃える漢」首藤剛志>

 首藤剛志は、ポケットモンスターのアニメーションの脚本家・シリーズ構成だった人間だ。主に80年代から90年代にかけて活躍した、名アニメ脚本家の1人である。最も有名なのは、もちろんポケットモンスターの脚本家・シリーズ構成だが、「戦国魔神ゴーショーグン」「魔法のプリンセスミンキーモモ」「アイドル天使ようこそようこ」などもマニアの評価が大変高い。「首藤節」と言われる、ミュージカルにも通じるような洒脱な台詞回しや、人間洞察に基づいた深みのあるキャラクター描写などが特徴の書き手だ。

 さて、僕は彼こそが田尻智に次いで、ポケットモンスターにまつわるイメージを規定した人間だと考えている。『ピンク・フラミンゴ』をこよなく愛した男が構想し、『スタンド・バイ・ミー』から物語が出発したポケットモンスターに、彼は戦後日本アニメーション的な「理想」や「テーマ」を持ち込んだのである。私たちの知る、人間とポケモンの関係を問う主題が入り込んだのはアニメからなのだ。

 ゲームシステム上、ポケットモンスターたちは子供の思い通りになるある種のコマとして存在していた。しかし、首藤剛志はそれをそのままアニメに持ち込むことを拒んだ。彼は、設定の構想時のことをこう述懐する。

 

 主人公はプレーヤーの代理である。

 現実のプレーヤーは、ゲーム機の外にいて、傷つくことはない。

 プレーヤーとゲームのこの関係をそのままアニメに持ち込むと、主人公がなんの苦労もせずにポケモンを捕まえて、そのまま自分の代理でポケモンを戦わせる代理戦争のように見えてしまう。

 そういうアニメにはしたくなかった。

WEBアニメスタイル_COLUMN)より

 

 そうして生まれたアニメでは、ピカチュウがモンスターボールに入らないポケモンとして描かれるところから始まった。

 

 このピカチュウ、最初は人に慣れず、モンスターボールにも入りたがらない。

 そして、普通ならば進化してライチュウになるのだが、それを拒絶している。

 あくまで、ピカチュウのままでいつまでもいたい不思議なポケモンなのだ。

 いつまでも自己を失いたくないのだ。

 「自己を見失うな」という事も、このアニメのテーマにしたかった。

 ピカチュウは、サトシとは仲間であっても、サトシの所有物にはなりたくないのである。

WEBアニメスタイル_COLUMN)より

 

 自らの意志で、モンスターボールに入らないポケモン・ピカチュウ。原作ゲームの基本設定を、いきなり意図的に破ってみせたこの作品は、「むしとり遊び」の採集対象としてのポケモンを、私たちの「友だち」へと変えていった。だが、そのような型破りな設定は、「ポケモンとは何者なのか」という問いを喚起せざるを得ない。

 それが最も強く問題提起されたのが、現在でも日本映画の海外興行収入の1位に輝き続けている、あの「ミュウツーの逆襲」だ。

 

<BWの先駆としての『ミュウツーの逆襲』>

 

差別を『ミュウツーの逆襲』の隠れたテーマの一つとして選んだのは、この映画が世界公開されるからである。

・・・(中略)・・・

「自己存在」をテーマにしても、「そんなことは考えないでいいのです。皆さんは神の子として存在しているのですから」という精神の人たちには、ピンとこないだろう。

 「自己存在」の問題だけでは弱い気がしたし、もう一つ、観客が思い当たるテーマをつけ、作品をガードし安定させたかった。

 で、「差別」に気がつき、『ミュウツーの逆襲』の陰のテーマにしようと思った。

WEBアニメスタイル_COLUMN)より

 

 アニメのポケモンは、ピカチュウが「モンスターボールに入らないポケモン」として描かれることから始まった。それは、ある意味では「ポケモンとはどんな存在なのか」という問いを必然的に喚起するものだった。その問いをぶつけられた人は、積極的にポケモンを戦わせたいとは思わないだろう。

 

バトルゲームが原案のアニメが、バトルを否定してどうする?

しかし落ち着く先は、僕にはそこしか考えつかなかった。

それは……。

ミュウとミュウツーの戦いを止めようと、サトシが間に立ち、両者の攻撃を受け、石化し床に転がったあたりからはじまっていた。 

WEBアニメスタイル_COLUMN)より

 

 バトルゲームが原案のアニメが、バトルを否定してどうする?——ある意味で、『ミュウツーの逆襲』構想時に首藤に訪れた危惧は、約15年の時を経て的中したと言える。そう、それがBWである——そろそろBWの話に戻ろう。

 

後編に続く)

 

 

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