史上初の平成生まれ直木賞作家・朝井リョウさんの第148回直木賞受賞作品「何者」、読みました。
 いやー、ええっと、何から言おうかな、あのー、うーん、……ごめんなさい。

 全然ほのぼの青春群像劇じゃなかった。心えぐられた。「桐島書いた人が新しい小説で就活とTwitterのこと書いてるらしいよ!今っぽくておもしろそう!読みたーい!」って軽い気持ちで開いたけど。けど。

 個人的には「桐島」よりずううっっと好きです。2013年読んだ本で今のところ一番好きです(まだ2月じゃんっていうツッコミは野暮!)。この記事を今読んでるような人、要するにYahoo!ニュースのトピックスをひろうだけじゃなくて、Twitterで飛んできたリンクを踏んでみておもしろかったらRTしちゃうような、RSSリーダーやらはてなブックマークやら使っていろいろ読んでるような、そういうインターネットの使い方をする人は少なからず”ぐっとくる”ところがあると思う。読んで確かめてください、ぜひ。

 

「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。

 

 あらすじはすごくシンプル。同じ学年の大学生に、今までどんな人生を生きてきて何をどんな風にやってきたかに関わらず均等に降り掛かってくるのが「就活」だよねっていう、それが軸です。それにどう向き合うか。何を考えるか。いろんな人がいる。でもさー、いろんな人がいるけど、正直たいして違いはないわけだよね? 君は平凡だよね? 平凡さを受け入れるしかないよね? 「いつか誰かがわたしの才能を発見してくれる」なんてそんなわけないよね??

 

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 本を開いていきなり、登場人物がTwitterアカウントとして紹介される。アイコンも自己紹介文も妙に生々しい。いやー、たったこれだけの字数なのになんて雄弁なんだろう!うんうん、スラッシュも使うよねえ、格言めいたうまいこと貼りたくなっちゃうよねえ、わかるわかる。このページだけでわたしはもうぐっときてしまった。期待しかない。

 とにかくTwitterがある大学生活、がリアルでにやにやする。
 朝井リョウさん、わたしと同い年だけど、自分も在学中はこんな風にリアルワールドの上にインターネットかぶせてた。ていうか、ネットがないリアルなんてリアルじゃないからね、もはや。リアルにならない。大教室で並んで座ってる隣の人のほうがずっとバーチャルだ。「教室暑い」なんてTwitterの画面に打ち込んでるの横から見えちゃったら熱を持つけど。どうでもいいわたしたちのどうでもいい日常はどうでもいいからこそインターネットがなきゃ完成しない。その当たり前な感じがちゃんと出ててすごくいい。新しく友達の友達として会う人とか、隣の研究室のあの人とか、なんとか先輩の元カレ、とか、の人となりを知るためにiPhoneの上に表示したTwitterアカウントを入り口にしていた日々よ。

 しかしね、普段ディスプレイで見てるから違和感ないけど、多分自分のツイート履歴をプリントアウトしてホチキスで束ねたらマジできもちわるいだろうな……って思った。背筋が何度も凍った。登場人物それぞれが140文字のボックスに入れた文字列が本の中にべたべた貼られてるんだけど(しかも縦書きだからますます違和感!)親指でスクロールできないそれが、かなり、エグい。読まれることを意識してしたためる文章とも、完全に閉じられた自分だけのメモとも違うその微妙なくすぶり方。説明的なのに感情的! うぎゃー!

 

いろんな価値観の人と話して、酒を酌み交わす夜。たとえ理解はできなくても、話して見ることは大切。次のコラムのテーマにもなりそうだ。歩みよることと理解することは別。みんながそう思えば、くだらない争いはもっともっと少なくなる。

みんなといっぱい喋って、いっぱい吸収して、今日も良い一日だったなあ。つくづく思うけど、私はホントに人に恵まれてる。今まで出会った人すべてに感謝。ありがとう、これからもよろしくね。お酒を飲んで真夜中散歩してたら、こんならしくないことを言いたい気分になっちゃった(笑)

 

 いるでしょ。こういうツイートする人。あなたの周りにも。そして多かれ少なかれ自分も一緒だから。この気恥ずかしさ、別に他人だけのものじゃないから。自分だけは違うってことないから!!!!

 就活ってネタの書き方も……この「あるある」って感情がいったいどのくらい広い世代に適用可能なのかわたしには判断がつかないんだけど、とにかく「かっこいい」の基準をどこに置くか問題だよねえ、ととても思う。がむしゃらにOB訪問しまくってるの、必死過ぎてかっこわるく見える。かと言って斜に構えて「全然就活やってなくてヤバいよー」なんて言ってんのはそれはそれでかっこわるい。テスト前に「全然勉強してないんだけど!ヤバ!」って言ってる中学生のメンタリティと同じなのでは…? 何やってもかっこわるい。困った。八方塞がり。

 

どうして、就職活動をしている人は何かに流されていると思うのだろう。(略)どうして、就職活動をしないと決めた自分だけが何かしらの決断を下した人間だと思えるのだろう。周囲がみんな黒髪でスーツを着ているときに髪を染めて私服を着ていられるからだろうか。つまらないマナー講座を笑っていられるからだろうか。

 

「俺は流されたくないんだよね、就職活動っていう、なんていうの? 見えない社会の流れみたいなものに」「流されるんじゃなくて、俺は俺で、生きていきたいから」。この(自分は特別な存在だって考えてる、だからこそどこにでもいそうな)友人のセリフを受けて主人公はこんな風に思う。“「就活をしない」と同じ重さの「就活をする」決断”、という言い方をする。ほんとになあ。何かをやるって決めるのはそれだけで強いんだよなあ。

 片端から否定していくことで自意識を保つ、のは誰にでも心当たりがあることだと思う。俺はこいつらとは違う、本当にすきなものはこれじゃない、やりたいことはこれじゃない、望むものはこれじゃない、理想のものはこれじゃない、こんなところでくすぶってる人間じゃない。否定を積み上げることでしか自分を表現できないのって、冷静に考えるとかなり薄ら寒いけど珍しいことじゃない。「外側」として、プレイヤーにならないで好き勝手言える。分析しちゃう。「答えのない質問って、正解がないから投げた人が勝つわけですよ」。ねー、そっちの方がかっこいいって、思ってるの? もしかして。そもそも、かっこいいって何だっけ。

 別にこれ就活の話だけじゃなくて。ブログとか2ちゃんまとめサイトとかニュースとか読むでしょ、音楽とか聞くでしょ、本とか読むでしょ、Twitterでなんか書くでしょ。その時自分がどういうスタンスでいるかなって思うと。児童ポルノに抵触した写真集の表紙、高校の暴力問題、アイドルの女の子が坊主にしたこと、女子柔道日本代表の体罰、遠隔操作ウイルス事件の捜査あやしくない?、小学5年生の男の子が電車に飛び込んだなんて痛ましすぎる、そんな風に1週間単位で「社会を語る」ためのトピックを使い捨てて分析していく。

「これは良記事」「必読!」「これはいい分析」「日本人として恥ずかしい」「マスコミの倫理観を疑う」、そういうコメントを、まるで自分には関係ないように、つけていく作業で満たされるものって。うまいこと言ってやりたい、の先、もしかして、その対象への理解を深めることじゃなくて、自分で自分の吐き出した言葉に満足したい、あわよくば他人に評価されたい、なんじゃないの。それが悪いわけじゃなくてその自覚の度合いですよ。だってこの文章もそうだからね! すべてブーメラン。

 いろいろありますが、小説の真骨頂は最後の最後。
 著者本人がインタビューで言ってるこの言葉がすべて。

 

読者の方が「朝井はこういう話が書きたかったのね」とか思っているあたりで僕は先回りしといて、フワ~っと最終コーナーを回ってきたとこをグサッと刺すみたいな。そういうことがやりたかったんです。
史上初の“平成生まれ”直木賞作家・朝井リョウ「小説を書き続けるのって、ボケ続けることなんです」 – インタビュー – 週刊プレイボーイのニュースサイト – 週プレNEWS

 

 こういう人いるよね~わかる~ってにやにやしながら読むじゃん。うわー、自分にもこういうところあるわ……って苦笑しながら読むじゃん。自分と自分が見ているものを頭に思い浮かべながら、あるあるを噛み締めながら、のんびりこたつでおせんべいかじるような気持ちで読み進めるじゃん。

 そしたら最後、ですよ。

 そこでガン、ってなる。鋭利すぎる。お茶すすりながらおせんべい食べてる場合じゃなくなる。青ざめてページをめくる。キャラクタ同士が話してるように見えて、言葉が本の世界の外側に投げられてる。今ここまで読み進めてきた自分、に向けられる言葉。

 ここまで読んできてどう思った? どう感じた? 感想ツイートしたりしてた? うーん、わたしは桐島より好きかな、なんて友達に話してた? 朝井リョウやるじゃん、なんて思った? そういう全部。

 最後だけ傷をえぐるように何度も読んでしまった。わたしがネットで書き物してエゴサもして、ウォッチャーとしていろんなもの見るの大好きだから、だからこそ刺し殺された。いろいろ引用したい言葉ありますが、言葉が出てくること前提で読まれてしまうとおもしろくないので泣く泣くやめます。でもね、どうしても貼りたい一文があるのでこの下に白抜きで貼ります。読んでない人は反転しちゃだめ。

「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」
「いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない」

 あと、この小説とは特段関係はないですが、押井守監督の映画スカイ・クロラの記者会見での発言も貼っておきますね。「何者」、タイトルをはじめて見た瞬間に、この言葉を思った。

 

何者かになりたいという欲求は熾烈なものとしてあるんだろうけれど、何者かになるということ自体がモチベーションになっていて、何者かになって何をするかというのが依然として何もないんです。それが非常に象徴的だと思いました。

映画監督になりたいという若者は数多くいますが、どんな映画を撮りたいのかを明確に答えられる人はほとんどいません。僕にとって何者かになるということは、世の中に対して確固としたリアクションを起こす人間を指しています。世の中に自分の席があるということだけが、何者かになることではない訳です。

 

「何者なの?」 そう聞かれたらなんて答えられるだろう。
 とにかく、いつまでも外側じゃいられない。

 

何者

 

 

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もぐもぐ

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インターネット探検家。HDレコーダーの残り録画容量と闘うスポーツも嗜んでいます。重度のときめき中毒。テレビでもショーでも舞台でもいいんだ…幸福はお金で買えます。