先月25日にニールセンが発表した資料によれば、NAVERまとめは月間の訪問者数が1300万人を越え、Twitter(国内)を越えるに至った。昨今の「パンケーキブーム」を加速させたとも言われ、日常生活に浸透してきた感がある。一方で、引用元となるオリジナルの記事よりもソーシャルメディアで拡散し、人気を博してしまうという問題も発生している。

 

サイゾーの記事よりもNAVERまとめの方がいい? – 誠編集長ヨシオカが日々考えていること

 

 オリジナルよりも引用が人々の注目を集め、広まる時代。だがこうした我々が出来事を経験するのは、ネット以降のことではない。その起源はなんと100年近く前に遡る。

 

<空白>を埋める/埋めたいメディア

 

「もはや要約やダイジェストは、読者をオリジナルに導いて真に欲するものを手に入れさせる手段ではなくなったのである。ダイジェストそれ自体が、読者の望むものになった。」

 これは、的を得た「NAVERまとめ」評……ではない。1969年に出版された、ダニエル・J・ブーアスティン『幻影(イメジ)の時代』において、「リーダーズ・ダイジェスト」という雑誌を評した一節だ。

 

幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)

 

「リーダーズ・ダイジェスト」は1922年、アメリカで創刊された雑誌である。この雑誌は基本的にオリジナルの記事を載せない。その代わり、様々な雑誌の要約(ダイジェスト)をコンテンツとしている。リーダーズ・ダイジェスト以前にも似たような抄訳集はあったが、学術論文の要約などがメインで、大衆向けではなかった。大戦をはさんでリーダーズ・ダイジェストは発展を続け、1959年には全米で売上第二位の雑誌の倍という驚異的な数字を残し、その年最も売れた雑誌となった。ブーアスティンの言葉で言えば「影のほうが実体より売れる」時代となった。まさに50年前のNAVERまとめである。

 19世紀後半、アメリカではシリンダー式の印刷機が開発され印刷コストが下がり、また製本も機械化された。その結果紙メディアは爆発的に増加し、情報の流通量は格段に増えた。正確に言えば、1つにパッケージされた情報が大量にコピーされ流通するようになった。新聞や雑誌を印刷する輪転機を回せば回すほど、1つの情報あたりのコストは下がる。さらにメディアが商業として成功して以降、むしろ輪転機は動かし続けなければならなくなった。事件がないからといって輪転機を動かさないことは機会損失である。また同様に紙面の空白も許されない。こうしてメディアは「空白」を埋めるべく、「ニュース」を求める。企業や国家は、その空白を狙って情報を提供する。こうしたメディアと企業・国家の共犯関係によって作られたニュースをブーアスティンは「擬似イベント」と呼んだ。リーダーズ・ダイジェストが発刊された大戦間期は、こうした技術的な進化に支えられたメディアのカンブリア紀であった。

 とはいえ、人間の情報処理能力は一足飛びに進化しない。能力は進化しないのに、輪転機は空白を埋めるために回り続け、情報は「増えざるを得なくなった」。要約=まとめを載せ、より広範囲により短時間で情報を集められるリーダーズ・ダイジェストが普及するのは、なかば必然と言えた。NAVERまとめも、インターネットという現代の輪転機の申し子である。Web2.0以降、有象無象のコンテンツがネットにも溢れた。冒頭にも書いたとおり、元記事よりもNAVERまとめが読まれる事態は珍しくない。NAVERまとめに引用されるメディアの中で、月間の訪問者数がNAVERまとめを超えているメディアがいくつあるだろうか?

 

情報の飽和点

 

 リーダーズ・ダイジェストが生まれた1920年代、アメリカは「ローリング・トゥエンティズ」と呼ばれる黄金期を迎える。1913年にフォードがベルトコンベアー方式による車の大量生産を開始し、翌年にはコルビジェが鉄筋コンクリートによる住宅建設方法を発表。1926年にはアメリカ最初の国道「66号線」が完成する。インフラが進化し、流通が効率化した結果、モノ・ヒトの移動が急激に加速した。アメリカ国内で都市化が進んだのもこの頃である。ごく狭いローカルなエリアに縛られていたヒトやモノが動くことで、世界はより複雑になり、人々は「社会全体」を俯瞰できる情報を欲しがるようになった。圧縮された<世界>が必要になったのである。リーダーズ・ダイジェストは、そうした人々の渇望を上手く埋めるタイミングで世に出た。その出自は偶然ではあったのだろうが、隆盛は必然だった。

 ブーアスティンは20世紀のメディア環境についてこう述べている。「二十世紀のアメリカでは、われわれは、人間が環境によって作られるという信仰はそのままに保ちながら、一方において、環境自体がわれわれによってほとんど全面的に作られうるのだと信じている」。これはメディアと企業・個人の共犯関係によって生み出される擬似イベントの性質をよく表している。重要なのは、リーダーズ・ダイジェストもNAVERまとめもメディアが作りあげた<環境>と<我々>の間に立ち、情報の複雑さを圧縮して調整する中間項=弁である点だ。逆に言えば、そうした中間項が現れた時、それは<環境>の情報量が我々の処理能力を越えて、飽和した瞬間でもある。NAVERまとめの登場は、Web上の情報量が飽和点に達した瞬間として記憶されるべきなのだ。

 リーダーズ・ダイジェストとNAVERまとめとで異なるのは、リーダーズ・ダイジェストがメディアの要約を通して<世界>を圧縮しようとするのに対し、NAVERまとめはもはや<世界>を圧縮してはくれない点だ。NAVERまとめがまとめてくれるのは、パンケーキから年賀状の素材まで、ワン・イシューの世界である。Web上を俯瞰できる統一的な視界は存在しない。代わりにあるのは、検索エンジン=キーワードベースに分解された、ごく粒度の細かい欲望だ。ニールセンが先月発表した資料によれば、NAVERまとめでも最もアクセスがあった記事でも、アクセス全体の7%程度しか占めていない。検索エンジンからのアクセスが多いため、アクセスが分散するのだ。リーダーズ・ダイジェストがマス的で、<環境>側から現れた中間項であるのに対し、NAVERまとめはボトムアップ的で、<我々>の側から現れた中間項である。それはあたかもズームアウトとズームインのような関係である。リーダーズ・ダイジェストが情報を要約し、圧縮した結果<世界>をズームアウトして把握できるようになった。NAVERまとめがワン・イシューでまとめを行い、<世界>の解像度は上がった。リーダーズ・ダイジェストとNAVERまとめは、<世界>を見るために作られたレンズの、表と裏と言えるだろう。

 

 

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klov

klov

ウェブメディアでリサーチ/ウェブ解析を担当。ねとぽよではライターやウェブ周りのディレクション。

GoogleやFacebookなどのプラットフォームの話題を追いつつ、日本独自のインターネットについて考えています。

 

 

▼活動履歴▼

2006年~ はてダ「No Hedge!」開設。村民となる。
2007年~ 批評系同人誌「筑波批評」に参加。Webや建築系の批評を寄稿。大二病、進行。
2011年~ 「ねとぽよ」に参加。最初はフリーペーパーにちょっと文章を書くだけだったはずが、いつのまにかウェブメディアを作っていたり。