女の子ウェブの中でも、とりわけ謎が多い「なりきり文化」。 それをより深く探求するために、ねとぽよではTRPGプレイヤーのtrickenさんの力を借りることにしました。

そこでまず開かれたのが、なりチャのワークショップ。

なりきり童貞たちが「HUNTER×HUNTER」でなりチャに初挑戦

trickenさん含め、なりチャ未体験の男性陣となりチャヘビーユーザー(元)の女性陣が入り交じって、実際になりチャを体験しています。そうして迎えた座談会では、まず実際に体験して見えたことは何かが思いのままに熱く語られています。

なりチャでは誰もがゲームマスター? trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<前編>

さて、そんな前編ではざっくばらんな感想会となってしまいましたが、ここからはちょっとだけ真剣な議論になります。なりきりのARG性や男女差など、ねとぽよの論考群で何度となく繰り返されてきた主題が登場してくる展開になっています。

 

「なりきり」とマジックサークル

ほたて なりチャについて、よしなにトークが進んでいますが、そろそろ本格的に議論に入りたいと思います。今回の座談会では、女の子ウェブのなりきりについて、TRPGで同様に「なりきり」と呼ばれてきた行為への議論から光を当てていきたいです。

 

tricken TRPGの立場から言うと、「なりきり」は、あくまでも純粋な意味での「キャラ描写」の実践という位置づけが適切でしょう。しかしTRPGで本当に重要なのは、ゲームの指し手として巧みに振る舞うことです。でもそれは「効率厨であれ」とか「データこそすべて」という話ではありません。それまでのキャラの設定や振る舞いからみて、一貫性の取れた行動宣言をしたり、仲間のアシストを上手にこなしてチーム内の義務を果たしたりという意味での、設定要素や役割分担も含めた上手な動きのことを指すんです。そうした意味で僕は「ロールプレイング」という行為を評価しています。

 

なおりん なりチャはマナーはあっても、ルールはないですからね……。TRPGは、やはり“ゲーム”なんですね。

 

tricken TRPGに巧い“指し手”がありうることがホビーとして信頼できるからこそ、毎回新しい物語的状況、新しいルールでも、挑戦する気になれるわけです。もちろん、なりきり描写と見事な“指し手”の双方を渾然一体にして伝えてくる達人クラスの人もTRPGのコミュニティには存在するので(笑)、最終的には両方が混ざっても全然アリです。でも、描写にいくら凝っていても、肝心の“指し手”の方が無理筋だったりヘボかったりしたら、一緒にいるゲーマーには確実に微妙な顔をされますね(笑)。TRPGでなりきりを取り込む際には、そうした構造上の制約があるわけです。その上でTRPGゲーマーは、自分の好みや適性に応じてなりきり要素と付き合っている、といったところでしょうか。

 

大地 要は、あくまでも「なりきり」は本筋のゲームプレイの外側にあるわけですね。事前に、岩田さんと馬場さんという方が書かれた、TRPGと「なりきり」に関する論考を読んだのですが、お二人とも「なりきり」の問題点をゲーム内でプレイングを完結させる思想を破壊するところに見ているようでした。

 

(※ 参加者は、馬場秀和のRPGコラム:『キャラクタープレイのすゝめ』「ロールプレイ」と「なりきり」 | iwatamの個人サーバ、などの馬場秀和氏と岩田宗之氏による「なりきり」をめぐる一連の論考を、事前にtrickenさんに紹介されて、読んでいました)

 

ほたて それに対して、なりチャの子たちは真逆で、むしろ嬉々としてリアルに持ち出そうとするわけですね。文通したり、オフ会をしたり。

 

ネコざめ はい。ゲーム内で完結させたくないです。だって、相手の言葉に自分がドキドキしたり、恋愛っぽい展開になったりしないとつまんないじゃないですか。別にゲームをクリアしたって、何も得られないわけですし

 

ほたて ゲームなんかに没頭するより、恋愛したいと(笑)。

 

tricken そのあたりまで、すごく対照的ですね(笑)。TRPGコミュニティだと、逆にゲーム以外で何やってるかさっぱりわからない人とかもザラです。仲良くなると、ゲーム終了後の飲み会でポロッとわかるくらい。それでも、ゲーマーとしてのペルソナに関する相互信頼が厚いというのは、少なくとも僕の周囲のお付き合いさせて頂いているゲーマーの皆さんに共通する特徴かもしれませんね。

 

 

TRPGは「なりきり」をどう捉えてきたか

ほたて ただ、面白いのはそんなTRPGというゲームにも、「なりきり」をしたがる人が一定数出てくることですね。

 

tricken それについては、TRPGの歴史を遡って、話していきますね。元々TRPGは、1970年代前半ごろに、半ば偶然に発明されたものです。中世十字軍の歩兵戦闘ウォーゲーム 『Chainmail』を設計していた人たちが、当時アメリカで流行っていた『指輪物語(The Lord of the Rings)』っぽいファンタジー再現ルールをいっそ混ぜ込んじゃおうぜ、と考えたんですね。

新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)

メタルフィギュアの歩兵に、火砲の代わりにファイヤーボールを飛ばさせて、ユニットの耐久性(hit points)を怪物の耐久力(hit points)とみなし……みたいな感じで、どんどん置き換えていったわけです。だから、初めはそれこそ、キャラの移動や遠近戦闘のルールしかなかった。それを元に、ファンタジー風ダンジョン探検のゲームデザイン・ツールへと洗練させていった作品が『Dungeons & Dragons』だったというのが、最初期のTRPGの説明になります。

 でもそのうち、題材にしているファンタジーや歴史、SFにおける「生活世界」――つまり個人戦闘だけでなく、その架空世界の政治/経済/文化を再現するルール――も、シミュレーション・ゲームのデザイン手法で取り回せるようになりました。そのあたりから、設定遊びとしてのTRPGの可能性も新たに見出されていったんですね。

 

ほたて ウォーゲームの拡張から生まれた遊びに、徐々に見立ての面白さが入ってきた。そうなると、「なりきり」を求めるユーザーが入ってきそうですね。

 

tricken ええ。ただ、キャラ個人への没入を重視したり、「なりきり」を促進するようなルールデザインが活発になっていったのは、生活世界の再現ルールデザインが多方面に試みられた、さらにその後のトレンドになります。

 

大地  なりきり」を促進するルールデザインというのは興味深いです。しかし、「なりきり」はマジックサークルを本質的に破壊するわけですから、TRPGの進化の正史の中では傍流だったのではないでしょうか。

 

(※ マジックサークル:「ゲームの世界観が現実世界とは独立して存在する」という感覚を与える根拠のこと。具体的にそれが何かをめぐっては議論がある)

 

tricken まず、とりわけ日本語のTRPG文化圏では、商業リプレイ文化が「なりきり」要素のイメージの形成に寄与している特殊事情が見逃せません。もちろん海外でも『Vampire: The Masquerade』など、なりきりに親和的なシステムや運用上の流派は多くあると思われますが、特に日本では、商業TRPGリプレイをより読み物として面白くするために、プロの方たちが「なりきり」芸にかなり重点を置いています。実際それは、ゲーマーとしても、また「なりきり」としても、本当に上手なんですね。

 しかしその巧さ故に、TRPGの遊び方を学ぼうとして手にとった人が「ロールプレイングって、ここまでしなきゃ参加できないの?」と第一印象で怯んでしまうことも少なくないかもしれません。一方で、実際の今のTRPGユーザーに色々インタビューしてゆくと、なりきりを極める道以外にも多彩な流派が育っているなという感触がありますが……ともあれ国内の商業出版ベースでの印象としては、なりきり要素が濃いめに演出されている傾向があると思います。

天羅万象・零 (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

 またシステムデザインという面では、日本でも海外でも、むしろルール外の間隙を突くような密かな楽しみだった「描写」や「なりきり」を、ゲームデザイナーの側が拾い、促進させ、むしろゲームシステムの中枢に置いてみようとする試みが一定程度ありました。海外では 『TORG』 、国内では『天羅万象』が重要な作品ですね。90年代に出てきたこれらのゲームは、「その世界観に沿う描写をして、ゲームマスターや他の参加者に評価されると、(資源増大や制限解除といった)ゲームメカニクスの面でも有利になれる」というルールを積極的にデザインしていきました。

 

大地 TRPGに「なりきり」をそのまま取り込むと、どうしても元のゲーム的な建前とコンフリクトが生じる、と。それを事前に防ぐためには、なりきりをルール化することで、ARGっぽくするしかなかったってことですね。それは面白い。

 

ほたて そこでプレイヤーを評価する視点は、ゲームのマジックサークルを外側から見てるわけですね。

なりきりの男女差~男は「設定厨」?

ほたて ここまで、なりチャユーザーは基本的に女の子であるという前提で話してきて……それはたぶん正しいのですが、この間『幻想水滸伝』でなりチャをしていた男の子を見つけたんですよ。

 

なおりん え、男の子いるんだ。何が楽しいんだろう(笑)?

 

幻想水滸伝 公式ガイドブック完全版 (コナミ完璧攻略シリーズ)

 

ほたて なんかね、設定の知識を自慢するためだったらしい。周囲のユーザーにドヤ顔するために、分厚い設定資料集を読み込んでたらしいんです。これは僕が聞いてきた女の子たちとは、なりチャの目的が全く違うので面白かったです。

 

tricken 女の子ウェブを考えているうちに、なぜか男の子ウェブも発掘された、と。その男の子にはちょっと共感できるかもしれない(笑)。

 

ほたて 以前、ねとぽよでなりきりを取材したときに、オリジナルなりきりの運営者が「ユーザーは男女半々だった」と言ってたんです。二次創作なりちゃは、彼のような例外を除いて、女の子ばかりだったのですが。

 

大地 オリなりに男性ユーザーがいるのは納得できますね。僕は、さっきの『幻想水滸伝』で設定を自慢しちゃう気持ちはすっごい分かるんです。なんて言ったって、男性は設定が大好きなんですよ! 設定厨プレイにコミュニケーションが付随するくらいなら全然抵抗ないもん。

 で、女性はその逆で、コミュニケーションができるなら、設定が入るのも許容する。そんな男女両方の落としどころが、オリジナルなりチャだったんじゃないかなと思います。

 

tricken オリなりは設定の育てゲーみたいなものかもしれないですね。やればやるほどキャラの設定が耕されていくというか。「なりきり」の使い方って男女で差があると思うんですけど、そこをつないでるのが「設定」だという、大地さんのその指摘は慧眼ですね。

 

 

HUNTER×HUNTERの世界に入りたかった

ほたて ただ、オリなりは女の子の中でも理解できないという人は結構聞くんですよね。

 

なおりん そもそも、普通はいきなりオリなりにハマるきっかけがなさそう。オリなりって、極まった二次創作なりきりのユーザーがやるものだと思いますし。

 初めて二次創作なりきりをやる人は、おそらくキャラになりきることが一番の目的になる。だけど、ずっとなりチャを続けていくと、目的がコミュニケーションをすることに変わっていく。ゼロからキャラや設定を作ろうと思い始めるのは、その後ですね

 

ネコざめ オリなりは楽しそうだなと思ってましたが、やったことはないです。私はゼロからキャラを作るより、マンガのキャラになりきる方が楽しかったんです。あと、私は二次元なりきりをやっていたけど、「おしゃべりしたい」「自分がキャラになりたい」というより、「HUNTER×HUNTERの世界に入りたい」と思ってました。コミュニケーションが目的というのとは、少し違うかもしれません。

 

ほたて 放課後インターネット2で、「単にコミュニケーションしたいだけなのに、なぜなりきりをするのか」という質問に対して、ネコざめさんは「私は桔梗として恋愛をしたかった」と言っていたよね。やっぱり世界の中に入りたいわけですね。

 

大地 夢小説好きっぽい発想だよね(笑)。二次元のストーリーや、キャラクターたちの中に混ざりたいという欲望を強く感じる。

 

ネコざめ でも、100%キャラになるわけじゃないです

 

ほたて 文通のようなことにつながっていくわけだしね。

 

tricken そうそう、なりきる対象の設定を固守したいとは限らないですよね。「キャラにログインする」ってたとえがいいのかな。ログインする前の人格を完コピすると狭い意味のなりきりになるけど、自分がその世界の状況を把握して、それを基に設定を組み直すプレイヤーとして参戦するようなタイプのなりきりが、ネコざめさんのいう二次元なりきりなんでしょうね。

 

なおりん ちなみに、三次元なりきりはキャラに没入するというより、逆に自分がキャラの仮面をかぶるイメージに近かったですね。本郷奏多くんのなりきりをしていても、彼が日常で何をやってるかは想像できないので、自分の普段の生活をチャットで描写することになります。口調と名前という仮面をかぶって、あとは普通の会話をしていたイメージです。

 

ほたて 二次元と三次元で感覚に違いがあるのは、面白いね。


(後編に続く)

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