最近、Twitterのなりきりbotを目にする機会が増えてきているように思います。しかし、この「なりきり」文化は、ずっと前から女の子たちの間で流行してきました。そんな「なりきり」について、TRPGに詳しいtrickenさんを迎えて話してきた「なりきり座談会」も、ついに終盤です。 一体、人間はなぜキャラになりきるのでしょうか?  

 

なりきり童貞たちが「HUNTER×HUNTER」でなりチャに初挑戦

なりチャでは誰もがゲームマスター? trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<前編>

TRPGは「なりきり」をどう捉えてきたか trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<中編>    

 

「別になりきるのは目的じゃないです」byなおりん

ほたて そもそも、なりきりをしたがる欲望ってなんなのでしょう?

 

なおりん コミュニケーションが簡単になりますよね。私の場合は、俳優ファンの友達を探すためでした。別に普通のファンサイトやブログを使ってもよかったけど、いきなり「どこ住み? 何歳?」ってプロフィールを聞いたり、時間をかけて仲良くなる過程がめんどくさかった(笑)

 なりきりなら、俳優のプロフィールを使えばいいし、話し相手が彼のことを知っていれば、そのプロフィールは説明するまでもなく、共有できてるわけです。

 

tricken なおりんさんの場合は、本当に「コミュニケーションの媒介」としてのなりきりなんですね。

 

ほたて アイドルでなりきりメルマガをやってた子の話を思い出しました。ファンからアイドル宛でメールが来るのだけど、それに生身の管理人として返信していたらしい(笑)。そうすると、向こうも普通に生身の人間として接してきて、それで仲良くなったらオフ会、みたいな。

 ちなみに、彼女はTwitterが出てきてからは、メルマガはやめてしまって、なりきりbotで活動してるそうです。

 

tricken なりきりbotに着地するあたりも、またすごくしっくりくる話ですね。Twitterアカウントの方が、他人の人の日常に入り込みやすいから。

 

なおりん オフ会に積極的に行ってたのも、友達を作りたかったからですね。結局、キャラになりきることは目的じゃなかったし、ねこザメさんと違って、世界観やストーリーを作ることも目的じゃなかったかもしれない。

 

klov でも、だったら別になりきりじゃなくてもいいよね。「コミュニケーションのために、効率的に課題を達成していく」なんて、当然のようにすることじゃん。僕はハマりきれなかったから明言は出来ないけど、なりきりにはコミュニケーションとは別の目的がある気がするな。

 

tricken 自分の周囲のTRPGゲーマーは、「自分たちは馴れ合いたいからゲームしてるんじゃない。より素晴らしいゲームが生まれる現場に出会いたい、その場で一緒に作りたい。だからゲームをしに来てるんだ」という硬派な人が多いですかね。もちろん、背景には人間としての互いの信頼が土台にあるのですが、「カラオケで盛り上がるのと何が違うのさ?」って発言が飛び出してきたら、明確に「NO、なぜなら……」と返答するための理論構築ができてるホビーストが、けっこうな数でいます。具体的にどう答えるかは、人それぞれなんですけど(笑)。

 TRPGは、ゲームの状況が難しくなるほど、プレイヤー側にも一定のゲームデザインと能力が求められてくるんです。ゲームをプレイしながら、同時にそのプレイヤーの指し手がゲームをデザインしている感じというか……僕はこういう感覚を昔から「共同ゲームデザイン」と呼んでます。そしてそれは、確かに今のところ、TRPGというホビーでしか味わえない快楽であるとは言えます。

 

klov TRPGはそういうゲーム的な挑戦があるからいいんですよ。ルールもあるし。でも、それとなりチャは全然違うとおもいますね。正直言って、なりチャはキモいですよ(笑)

 

tricken いやいや、TRPGの「なりきり」だって、見る人が見れば十分にキモいと言われかねないとは思いますよ。

 その上で、僕の立場からなりきりという営みを擁護してみると……そうですね、社会心理学の分野に「役割(role)」という考え方がありますね。そもそも私たちは日常生活において、まるで劇場の登場人物であるかのようになんとなく役割を遂行してしまっていて、それは社会における私たち自身の自己(social self)と、必ずしもしっかりと結びついているわけじゃないんだ……と再点検するために「役割」という考えを導入することがあります。

 

 つまり、なりきりとは、キャラクターという目の前に現れた他者の役割をどこまで理解できるか、そのリテラシーをお互いに試す場だと言えたりはしないでしょうか。「このキャラはこういうふるまいや言動をする」という任意の役割を仮構した上で、テキストを通じてキャラの理解度を提示していく遊び、それがなりチャだと僕は思うんです。複数人でチャットする中で積み上げていく「あるある!」の感覚は、日常生活でなんとなく実践している他者の役割の観察に似ている、と僕は感じています。私たち自身から別の誰かに置き換えることで、むしろ置き換えられなかったところがより明瞭に見えるようになる、そんな楽しみがなりきりにはありますね。

 

 それから、僕は社会の眺め方として、そもそもこれまで僕らが慣習的に身にまとってみた属性すべてを「必然的に自分が選択してきたものだ」と無理に考える必要もないんじゃないか、とも考えています。たぶんklovくんは「変身願望」をキモいものだと考えていると思いますが(笑)、僕は今の自分の心身を特に否定しない形で「変身」する機会を得るくらいの方が、自分の社会的な自己(social self)を点検するのに効果的なんじゃないか、くらいに考えています。

   

「なりきりは好感度上げゲームでした」by斉藤

 

大地 僕にとってのなりきりは、好感度上げゲームでしたね。ギャルゲーマーなので(笑)。ただ、ゲーム内の好感度だけでなく、リアルの好感度も上げてやろう! という意気込みでしたけどね。今回なら、ヒソカの役割取得をして、上手く自分にフィットさせつつ、エロい発言を入れたりした感じです。最初からキャラに抱く好感度を使えるので、スタートダッシュがしやすかったです。

 

ほたて 自分の場合は、フィクションの中に入るのは楽しいという感想が一番に出てきましたね。セリフに込められた伏線を拾って、空気を読みながら話を作っていくのが純粋に面白かった。

 

tricken 特にほたてさんは場面転換など、かなり上手にされていましたよね。

 

ほたて 大学で推理小説研究会にいたのですが、たぶんそのせいでリアルの生活でも全体設計から逆算して、個々の場面を意味づけて見ていく癖があるんです。最後にklovさんを呼んできたのも、意外な犯人オチで落とせば、物語の格好がつくだろうという発想です。推理小説なりきりとかあったら、絶対にハマってましたね。

 

tricken TRPGなら、アシストに向いているタイプですね。

   

「普通のチャットには色気がない」byねこザメ

ほたて 子どもの頃からなりきりをやってた人として、ねこザメさんはなりきりをどう思いますか?

 

ねこザメ 小学生の私にとって、お金を使わずに遊べるのは、インターネットだけだったんです。そこで見つけたのが、なりきりでした。それに、私はコスプレがしたくて、もし財力があったら、ローブなんかを買って魔法使いになりたかったような子どもだったので。

 

tricken やっぱり、なりチャが好きな子たちはコスプレにも興味が出てくるんですね。実はライブアクションRPGと呼ばれる、コスプレが重要な要素になるRPGもあるんです。要は、ファンタジーサバゲです。海外の人たちがやり始めたんですけど、これはTRPGよりも身体性が伴うぶん、よりなりきりに近いかもしれないですね。詳しくはこちらの紹介記事を参照してください。

海外式LARP入門ワークショップ in キャッスル・ティンタジェル体験記

 

ねこザメ すごい、これは面白そう……!

 ただ、当時の私はライブアクションRPGもコスプレも、絶対にお金が足りなかった(笑)。

  あと、なおりんは違うって言ってたけど、私にとっては世界観を作るのは大事な目的のひとつでした。なりチャって、ディスプレイの向こうに世界が広がるんです。今回のなりチャだったら『HUNTER×HUNTER』のキャラが桜の木に集まってる描写、ハリポタなりチャだったら映画で観た美しい風景の描写。それらがパソコンの前に向かってるだけなのに、目の前に広がっていくんです。この感覚を知ってしまうと、チャットルームで普通のHNが淡々と会話をした文字が並んでても、なんの色気もないと思っちゃう。

 

tricken ねこザメさんは、世界観作りが好きなんですね。TRPGにも、キャラ重視の人と、世界観重視の方がいるんですよ。で、キャラ同士を動かしている脇で、ゲームマスターやプレイヤーの立場から舞台の大道具や小道具の描写に凝り始める人もいて、そういう方向に進んでいった人は、TRPG以外の場所でも作家的才能を発揮していることが多いですね。ねこザメさんがキャラの仮面をかぶり続けるのも、キャラ準拠の欲望というより、書き手として描写したい状況を引き寄せたいという面があるのかもしれないですね。

 一見「キャラ=私」という没入で理解されがちななりきり文化においても、ねこザメさんみたいな、風景描写のため、恋愛という状況描写のためになりきりをしてる方がいることは、なりきりにおけるキャラクターとプレイヤーの心理的距離も、実は結構多様なスタンスがあるんじゃないかと思わされました。

   

なりきりの器の広さ

なおりん それにしても今回は、スタイルの違うなりきりプレイヤーがそろったように思います。設定厨のtrickenさん、コミュニケーションが目的の私、好感度上げに徹する大地さん、ストーリーメイキングが好きなほたてさん、そして世界観重視のねこザメさん。もちろん、いきなり巻き込まれたのに一生懸命なりきってくださったklovさんも、ありがとうございます(笑)。なりきりって、本当に色々な切り口があるんだなと改めて思いました。

 

大地 それは結局、なりきりにルールが少ないおかげで、いろんなサブゲームが追加できるからだと思いますね。

 

ほたて そういう器の広さこそが、「なりきり文化」が色んな場所に登場してくる理由なんだろうね。trickenさんも、今日はありがとうございました。

tricken こちらこそ、ありがとうございました。僕はゲームデザイン論の立場から「なりきり」について考え続けてきましたが、こうしてなりチャの文化について意見を求められたことで、逆に自分の持っていた言葉をより外側に持っていけたのではないかと思います。今回は思わぬかたちでとても柔軟で幅広い討論ができたと思います。またねとぽよの皆さんや、この記事を読んでくださっている方と、TRPGも含めての「なりきり」的な文化圏について一緒に考えていけたらいいですね。

(了)

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