最近、小説家になろうが話題になっている。

 

小説家になろう

新文化 – 出版業界紙 – 連載 – 衝撃ネット小説のいま

 

『魔法科高校の劣等生』などの人気作品が出版されたせいだろうか。確かに、近年電撃文庫ですら稀に見るほど、「俺TUEEEE」感がしっかり描かれている作品だとは思う。だが、あれが平積みになるロジックは、「小説家になろう」の書き手が電撃からデビューしたという事実にしかない気もする。

 かつて、川原礫の『ソードアート・オンライン』が出たとき、彼のHPでずっと追いかけていた僕はその発表に熱狂した。しかし、『魔法科高校の劣等生』が出版された事実に、僕は何も熱狂することはなかった。そもそも比べるのがおかしいのかもしれない。『ソードアート・オンライン』は書籍化以前に、ネトゲ小説というWEB小説の新ジャンルを創出していた作品だったからだ。正直なところ、「小説家になろう(以下、なろう)」に、川原礫のような何年に一人の作家が書いているのを見たことは一度もない。それでもずっと、僕は「なろう」を読んできた。もちろん、『魔法科高校の劣等生』もリアルタイムで追いかけていた、大好きな作品である。

「なろう」は、なぜか朝に更新する作品が多いので、寝起きにそれをざっとチェックする。これは僕の日課だ。また、リアルの生活で何かにぶちあたって、現実に目を向けたくないときには、「なろう」で20本くらい延々と小説を読んで、戻ってくる。

 あのサイトに置かれた小説を巡っていると、「これは時間の蕩尽以外の何物でもない」という実感が湧く。皆さんにも、カロリーと添加物にまみれた食事であることを知りながら、いやそれ故にこそ、マックのようなファストフードでドカ食いをして、ストレス解消をしたくなったことはないだろうか。あの心理に近いものだ。欲望にまみれた自分を感じて、汚れた気分になりたいときに読むのである。

「なろう」の小説には、人間の欲望がむき出しのまま転がっている。それは僕の欲望でもある。物語の中に入りたい。その物語の中で、都合よく強くなって、女にもてて、いいことをした気になりたい。そんなイージーでジャンクな、まるで「精神のポルノ」のような物語を求める気持ちは、他の創作サイトや商業作品では決して満たされない。

 おそらく、今後ラノベ等の編集者たちが「なろう」に注目していくのかもしれないが、彼らのような”文化系”な人々は、ここにある作品の、ひたすら「抜き」を目的としたAVの如き「渇いた世界」に、慄然とするのではないだろうか。

 

「小説家になろう」とは

 

 そもそも「小説家になろう」とは、どういうサイトなのか。

 まずランキングを見てみると、1位から100位まで、ほぼジャンルは「ファンタジー」だとわかる。「冒険」「恋愛」「学園」などのジャンルもなくはないが、基本は「剣と魔法の世界」だ。時折まじっている「SF」も、何らかの科学的理由でMMOのRPGの世界に入り込んでしまったというようなもので、基本的には中世RPG的な世界観だ。

 内容については、「異世界迷宮で奴隷ハーレムを」という作品が大変に典型的である。

 

異世界迷宮で奴隷ハーレムを

 

 これは現在累計ランキング1位の作品だが、「なろう」が注目を浴び始めたことで、しばしば槍玉に挙げられてもいる。

 

小説家になろうっていうサイトのランキング一位wwwwwwww

 

 しかし、僕はこの小説を断固として擁護したい。なぜなら、「精神のポルノ」としてとても優れた作品だからだ。この作品は「なろう」として恐ろしく正しくツボを押さえており、読者の欲望を決して外していない。

 あらすじは単純だ。異世界のダンジョンでモンスターを倒しまくり、稼いだ金で奴隷の女の子を買ってセックスをする。それをひたすら2年間に渡って、繰り返している連載作品だ。主人公は時々商売をしたりもするし、奴隷に現実世界で覚えた料理を振る舞う描写がやたら多いなどの謎なこだわりもあるが、基本的には「俺TUEEEE→金ゲット→セックス」のサイクルを繰り返すだけだ。しかも、題名とは裏腹に主人公の性描写は本当に淡々としていて、性的な「ポルノ」としては、むしろ枯れている。

 通常の男向け作品にあるような、仲間と一緒に何かを成し遂げたり、自分で努力して何か新しい事柄を習得するという描写は、ここには全くない。そうした欲望は、ひたすらチートで達成される。「仲間」については、女の子を単に奴隷として買うだけだ。所有の上下関係があるから、女奴隷との駆け引きや人情の機微の描写などもほぼなく、代わりに、ちょっとした善行や強さによってチヤホヤされる姿がただただ描かれる。

(余談だが、「なろう」の作品では、男同士の関係においても、ほとんど上下関係ばかりが存在している。通常の社会生活の営みにあるような、対等の関係で男同士が何かを一緒に成し遂げていく作品は、びっくりするほど少ない

 エンターテインメント小説は、現実世界における楽しいことを再現する。しかし、「なろう」の小説では、胸躍るような冒険、信頼出来る仲間、魅力的な異性との恋愛などのよくある描写のどれもが、脇に追いやられている。現実に何かを達成するときに必ず存在するような、苦痛を伴いながらも喜びに至る過程は、このサイトでは一切評価されない。別にそれは、なにか反体制的な心性や美学と結びついているわけではない。単に、ここではそうした描写は考慮に入れられないのである。

 では、代わりに何が前面にでているのか。それは、「ゲーム」的な描写だ。レベルが上がる、明らかでなかったゲームシステムを考察する、そのスキを突いて最適化を考える……。努力は、ほぼ転生・チートなどでスキップされる。転生モノでは、その世界にいかに自分が有利であるかが書かれる。まさに「ゲーム」で「チート」をしたときに味わう「俺TUEEEE」という感覚である。努力が描かれることも稀にあるが、せいぜい「レベル上げ」的にしか表現されない。「レベル上げ」が、普通の努力とは本来まったく異なることは多くの人に理解されると思う。

 つまり、「なろう」の読者、あるいは書き手にとっては、ゲームの記憶こそが他の何よりも、喜びやあこがれを呼び起こすイメージなのだと思う。もっと踏み込んで言うと、少なくとも精神世界においては、ゲームを超える楽しいものが存在しなかった人たちが、ここにはいるのだろうと、僕は想像している(※1)。ここでは、RPGやSLGのような「ゲームの比喩」でしか、世界を変えたり愛されたりした感覚が表現されないのだ。

 そんな「チート」ぶりを全力で描いたのが累計ランキング3位「理想のヒモ生活」だ。

 

理想のヒモ生活

 

主人公は、ファンタジー世界に召喚されるにあたって、快適に生きるために発電機やクーラー、冷蔵庫、酒などを入念に準備して持ち込む。そして、ファンタジー世界の女王の夫になって日がな快適に暮らすという作品である。

 なお、時折、ランキングの中に小説が普通に上手い人が入ってくることもある。だが、彼らの描写力や展開力がこのサイトで評価されることは一切なく、上に行ったとすればここまで書いてきた要素が単に評価されただけだというのが、自分の結論である。このサイトの読者は、そんな通常の小説好きが求めるものには興味がない。もしそうでないなら、あんなランキングにはなっていない。

『まおゆう魔王勇者』で話題になった橙乃ままれさんの『ログ・ホライズン』も、よくこのサイトの傾向を捉えており非常に良く出来た作品で、僕もずっと楽しみに読んできた。しかし、客観的に見れば、食事の味や細やかな心理描写を延々と書いたりするなど、「なろう」的にはどうでもいいことに沢山こだわっている作品だと思う。

※1 ちなみに、先の累計ランキング1位の作品は、特にそうした「健康的」な要素を徹底的に切り捨てていていっそ清々しい。他の作品は時々中途半端にそうしたリアリティを盛り込もうとして、目も当てられないほど無様に失敗していたりする。本当にこの作者たちは、美味いものを食べる楽しさ(アイテムとしての食材についての描写や、調理の描写は結構多いのだが)や、信頼できる仲間と一緒に何かを達成する楽しさや、気の合う女の子と遊ぶ楽しさのような、そういう「リア充」的な喜びを知らないのだろうな、とひしひしと感じる瞬間だ。

 ちなみに、少数ながら、それらが魅力的に描かれている作品も存在する。僕が最近更新を心待ちにしている「辺境の老騎士」あたりがそうなのではないだろうか。

 

辺境の老騎士

 

読者の傾向

 

 僕が思うに、このサイトは読み手も書き手もかなり年が行っていると思う。おそらく、20代後半~30代ではないだろうか。あまりに幼稚な作品が多いことから、中高生のサイトではないかという人も多いが、それにしては加齢臭が強いし、人生を諦めきった物語が多い。というか、プロの小説家になるタイプのような、人に見せびらかせるような「成熟した精神」を持っている成人なんてそう大していないのだから、幼稚かどうかは判断基準にならない。

 そもそも、これほど西洋RPG的世界観に魂を囚われているのは、この世代までだ。そこから下の僕以下の世代になると、メジャーなRPGはFF7以降になって、もう少しモダンな物語を楽しんでいるし、今の中高生にウケる物語という点では、最近とみに増えている物語性の強いボカロ楽曲の方がまだリアリティを感じる。もちろん、この辺は推測でしかないのだが。

 いずれにせよ、このサイトの本質は「精神のポルノ」である。強い力を世界に対して奮い、それを人々に認められたい。そんな単純な欲望が渦巻いている。もちろん、世界を変えて、他者から愛されたいという願望それ自体は普遍的なものだろうが、その表現のイージーさが大変に特徴的なのだ。これでは普通は満足できないだろうというレベルで、あまりに簡単で、あまりに運に依存していて、どんな人間にでも可能なイージーな達成が多い。転生モノやTGモノも多いので、生物学的条件も簡単に無効化するのも特徴だ。

 その最たるものは累計ランキング2位の「無職転生- 異世界行ったら本気だす -」だ。もう、題名どおり。

 

無職転生- 異世界行ったら本気だす -

 

 何よりもおどろくべきことは、「なろう」の人々はこうした物語に飽きないことだ。このサイトのユーザーの欲望は、全く衰えない。きっとこうした物語を、ただひたすら読み続けているのだろう(自分もその一人だが)。作品の傾向も、ときどきに応じて趣向を変えていくことはあるが、ほとんど変化もしない。

 もちろん、「なろう」の中での文化的成熟もないわけではない。例えば、「この世界がゲームだと俺だけが知っている」などは、その一つの達成だと思う。

 

この世界がゲームだと俺だけが知っている

 

 この作品では、ストーリーで出てくる葛藤や障害が、すべてゲームのバグを突くことで解決されていく。MMORPG転生モノが溢れ、それが「なろう」のイージーな「チート」で物語を進める欲望と結びついたときに生まれた”怪作”である。

 

世界から捨てられたアンデッドたちのサイト

 

 このサイトで僕が気になるのは、なぜかアンデッド主人公の物語がウケていることだ。妙にネクロマンサーも多く出てくる(味方として出てくることも多い)。わざわざ転生したのだから、もっとマシなものになればいいと思うのだが、新しい世界での姿がスケルトンだったり、リッチだったりする。

 僕はこの設定が好きだ。それは、どこかアンデッドこそが「なろう」読者の似姿のような気がするからだ。例えば、僕が「なろう」で最も好きな作品の一つである「オーバーロード」という作品の主人公は、食欲も性欲も睡眠欲もなく、ただひたすら戦い、世界を征服し続ける。まさに、「人はパンのみにて生きるにあらず」を体現した主人公だ。

 

オーバーロード

 

三大欲求の充足だけでは満たされない人間精神の「動物的」欲求を満たす、このサイトそのものを体現していると思う。本当に「なろう」的な物語だ。

 しかも重要なのは、彼らはゾンビのように別に腐っていないということだ。不思議に腐臭が漂わない。いや、もう腐りきって、その欲求以外何も残っていないのではないか。なので、アンデッドといってもゾンビではなくスケルトンだ。最近ランキングにあがった、スケルトンになってしまった傭兵が「最強」を目指す物語である「イモータル×ソード」の第一章などがまさにいい例だろう。

 

 イモータル×ソード

 

 人として死に、肉さえも腐り果て、ただ最後に骨だけが残ったスケルトン。ダンジョンの中で人間社会の誰にも一切迷惑をかけず、骨であることに順応しながら、最強を目指して粛々と生きている。「なろう」の書き手に置き換えれば、そこでの最強とは、ランキングの高みのことだろう。これが僕にとっての「なろう」のイメージだ。

 他にもスケルトンものでおすすめの作品は多い。現実世界での犯罪者がスケルトンに転生して、骨を拾い、組み替え、スケルトンの軍勢を作り上げていく「骨の王の物語」が、累計ランキングの順位は高くないが個人的にはイチ押しだ。

 

骨の王の物語

 

 中編で読みやすくもあるのでぜひ読んでほしい。ちなみに作者は、この作品が「なろう」内で人気を獲得したことに、びっくりしていた。個人的にはスケルトン ものだったことが理由なのではないか、と思っている。あと、個人的には、ゾンビになったけれど、ゾンビの臭いを嫌って体を燃やしてしまって、スケルトンに 転職(?)した、この作品も好きだ。

 

 ラストダンジョンに挑んだその日、俺は戦士であることを、いや人間であることを卒業した

 

彼らはもうゾンビよりスケルトンの方が心地よいのではないか…と思ってしまう作品だ。

 

注目を浴びる「なろう」

 

 そんな「なろう」が最近注目を浴びはじめたらしい。しかし、これまでの話からもわかるように、ここは決して表に出てこないような、秘めやかな欲望に満ちた場所だ。少なくとも、村上春樹の作品や『カゲロウデイズ』のように、その作品を読んでいることを周囲の読書好きと語り合いたくなるような小説はほとんどない。商業作品で言えば、ここに並ぶ作品たちはポルノ小説に近い存在だ。

 だが、ある種の人間の肉体にとって風俗が欠かせないものであるように、ある種の人間の精神にとって「なろう」は必要なのだと思う。

 この文章を読んで、「なろう」を嘲笑する人も多いと思う。だが、僕は子供の頃にプレイしたRPGや恋愛シミュレーションゲームを超える快楽が、その後の人生であったかというと、いささか心もとない。もちろん、当時のゲームをいまやっても、当時の感動が蘇ることはない。そんな単純な欲望に収まらない、人間社会の複雑な魅力があるというのも、それは事実だと自分の経験から思う。しかし、単純な興奮でいえば、やはりあの頃のゲームの魅力は人生でも最高のものだった気がしてならない。あなたは、そうではないと言えるのだろうか?

 そう思うと、何だか自分の人生が味気なく感じられてくる。この問いを明確に否定出来ない限り、僕はなんのかんので「なろう」なしには生きていけない。そして、「なろう」が商業的に注目をあびることで健康的なサイトに「転生」したとしても、また別の「なろう」的な場は常に求め続けられるはずだと、僕は思う。少なくとも、僕は「なろう」が大好きだし、ここはとてもインターネット的なサイトだと思う。

 

 

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