前回の話を読む→第二幕(十一)

妖式コンゲームとは何か。

 

 

 

 

旦那の姿を見つけたはいいものの、

彼はとても歩み寄ってきてくれそうになかった。

 

そりゃあそうだ。

 

俺は初めて旦那と顔を合わせ、事件の内容を聞きに行った日のことを思いだした。

――おかしいのはお前だ!

 

と、俺が言いきった直後に、この旦那、家出したんだっけ。

 

「ごめんなさい!!!」

勢いよく頭を下げた。

 

旦那は、はっ、と呆れたように笑い、浮世絵をふところにしまった。

 

「お藤さん、江戸の三大美人だったんですね。

今でも綺麗です」

 

まぁ、と曖昧に誤魔化された。

 

「いつごろから、この川原にいたんですか?」

 

「……こんな顔してるんだ」

 

川面で魚が跳ねた。

旦那はもう一度、噛みしめるように、ふところに仕舞ったばかりの浮世絵を取り出した。

お藤さんの立ち姿を描いた浮世絵だった。

旦那は、風に消え入りそうな声で、綺麗だ、と呟いた。

 

こんな顔してたんだ、俺の奥さん。

 

旦那はそうやって、浮世絵を光に翳した。

薄い紙は光を通し、浮世絵に描かれた白い肌はより一層輝いた。

思い出したんですか、と聞けば、彼は静かに首を振った。

「身体つきはよく覚えてるんだ、スタイルがよくてな、こう、出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでる、いい身体」。真面目にそんなことを語る旦那を見て、俺は思わず、オヤジ……とぼやきそうになるのをこらえる。

旦那はため息をついた。

 

「あいつがどんな顔してたか、全然思い出せない。でも、」

――でも。

でも、と一端言葉を区切ってから旦那さんは浮世絵を折りたたみ、

ふところにしまいこんだ。

 

「どんな顔かわからなくても、好きな気持ちは消えてないんだよな」

 

強い風が水面を揺らした。

生まれた波紋が河に映っていた旦那の顔をかき消した。

綿毛が舞い上がる。俺はとっさに目を閉じた。

風が止んだ時、穏やかになった水面には、やさしく微笑む旦那の顔が映っていた。

 

旦那の腕を掴んだ。

 

「よ、よかった………」

 

安堵していると、旦那は疲れた顔で、カカカッ、と笑い

「啖呵切って家を出てきた手前、手ぶらじゃ戻りにくいんだ。坊主、お前、それっぽい理由こしらえてくれるな?」と俺の腕をつかみ返した。

 

日が傾き、影が伸びる。

旦那さんの影は俺より一回り大きかった。

 

清澄の背丈はもっと高かったな。

 

顔を上げれば、夕焼けを浴びている富士を背にに鳶が飛んでいた。

思わず目を細める。

忘れようとしたって、忘れることなんてできないんだけど。

俺は、この日のことを何度か思い起こすこともあるんだろうな、と思った。

 

 8_少し成長したまりく

 

二人で家の戸を叩くと、真っ先に飛び出してきたのは奥さんだ。

あの浮世絵が描かれてから何年か経っているものの、いまだ変わらず美人だった。

奥さんは帰宅した旦那の顔を見て、アッ、と驚きの声をあげた後、顔を斜めに反らした。

色の白い顔を隠すように俯き、旦那に向かって、おかえりなさい、と呟いた。

旦那はその場に立ちすくむ。

目を見開き、角ばった手で奥さんの頬を包んだ。

 

「見える……見えるぞ……」

 

のっぺらぼう、と一度は罵ったはずだった。

酷いこと言ったな、俺の目がおかしかったんだ、と旦那は肩を落とした。

お藤さんは首を振って、旦那の胸に顔をうずめた。

「顔を見せてくれ」

旦那はお藤さんのアゴに手を当てると、そっと上を向かせた。

そしてお藤さんの耳の形を指先で何度も何度もなぞって確認しながら

目を見つめ、額に口づけた。

 

俺は首をかしげる。

これで解決、でいいのかな……?

まぁ、元に戻ったのなら、何より、だ。

一息つくと、俺は一人で家路についた。

 

 

 

 

半月

 

 

薄雲

 

 

夜気

 

 

 

日中の白雲は夜空の黒と半月の銀に挟まれて、

物憂げな灰色の体で漂っていた。

 

夜、四つ時を過ぎれば、江戸の町は静まり返る。

烏も山へ帰って寝支度をはじめ

聞こえるのは梟の溜息くらいだ。

 

町の境にある木戸が閉まり、木戸番がうつらうつらと見張りに立つ。

ほとんどの者が床につき、

いまだ賑わっているのはせいぜい、吉原くらいなものかと思われる頃。

一つの影が川原に座っていた。

行燈も持たずに。

一枚の紙を見ている。

浮世絵だ。

あの旦那が持ってたのと同じものを、この男も手にしていた。

月と星の光だけを頼りに眺めている。

決して強い灯りではないのに、彼にはそれで十分らしい。

不気味な光をたたえた目が、ゆっくり細められた。

 

「今回のは、成功でした」

 

その人影は顔を上げ、月を睨んだ。

彼がニヤりと笑った時、口元から犬歯が覗いた。

由良だ。

人間の姿に化けた由良は、帳面を取り出すと筆で今回の実験結果を記し始めた。

 

 

 

 

 

【  実験帳  8月23日  】

 

●記憶をしまっている箱の機能考察。百色薬の効能調査。

 

●実験目的

記憶に貼られた記憶妥具(たぐ)が消えた時、名前やヒモ付けを無くした記憶が

どこへ移行していくかを観測する。百色薬の有効度合を確かめる。

 

・材料

百色薬。

 

・被検体

順風満々な男。特別な不遇に見舞われることもなく、割合他人目から見て幸せそうな生活を送っている者。

 

・方法

男の猪口に百色薬を混ぜ、その男の行動を逐一観測。

 

・仮説

妥具(たぐ)が失われた場合、名称を無くした記憶は認識できないものとなる。

妥具が一番に担っている箇所は時間序列の決定であると考える。

よって、薬の被験者は時系列の混乱をきたし痴呆状態に陥る。

 

・結果

記憶妥具のうちの一つが剥がれた。

「もっとも愛しいもの」という名の妥具だ。

結果、男は、もっとも愛していた「妻の顔」を認識できなくなり、のっぺらぼうだ、とみなした。

 

・考察

人間の記憶が、妥具によって分類され、引き出されていることは間違いない。

たとえば、ある記憶は「8月23日」という日付の印で妥具づけられているし、

また別の記憶は「悲しかった」という感情妥具を貼られている。

それを剥がした時、表示をなくした記憶はどうなるか。

 

仮説段階では時系列の方が強く作用すると踏んでいたが、感情の枠組みの方が現れやすいことがわかった。

妥具を失った記憶は認識されないものとなり、被検体の場合は、もっとも愛しているものが何か見えなくなった。

 

 

 

 

 

由良は実験帳にそう書き記すと、付箋をとりだした。

【百色薬について】と付箋に書き込み

帳面に隅に貼る。

 ―忘れてしまわないように。

―すぐにその項を開けるように。

 

由良は付箋を撫でた。

 

 

 

百色薬(しゃくしきやく)は、記憶につける妥具(たぐ)を剥がす薬だった。

 

たとえば、日記帳についている日付。

タイトル。

概要。

特徴。

それらに張られた付箋を剥がして、ごちゃまぜに張り替えてしまえば、

中身を探すことができなくなってしまう。

 

 

被検体の男がその薬をのんだ時

 

『その男が一番愛しているもの』

 

という付箋が飛んでしまった。

 

『その男が一番愛しているもの』

という印を見失った男は、

もっとも愛しい『妻の美しい顔』が見えなくなってしまったのだ。

 

 

「あの男はただの面食いだったのですね」

 

 

由良は実験ノートをしまうと、ふたたび浮世絵を眺めた。

 

「この薬をうまく使えば、印象深い記憶を探り当てるのも容易くなる」

 

由良は背中を丸めた。

笑いを堪えるためだ。

背中を曲げた由良は、突然激しく咳き込んだ。

頭を押さえる。

舌打ちすると、由良は、忌々しい、と呟いた。

実験データをとるのに夢中で、人間の記憶を食べていなかったのだ。

さて、と立ち上がると、彼は浮世絵を片手で丸め、川へ捨てた。

 

「夕餉と致しますか」

 

そうして由良は、こっくりと頭を垂れている木戸番の元へと忍び寄った。

 

 

 

 

~後日談。

 

 

 

妻の顔が再び見えるようになった旦那は、

嬉々としてお藤さんを抱きしめた。

 

顔を見てはにんまり。

後ろ姿を見てはぼんやり。

立ち姿にうっとり。

おしどり夫婦だった頃のように戻ることが出来て、お藤さんは頬を赤くしつつ、まんざらでもないようだった。

 

しかし、その晩。

 

事件は床の中で起こった。

 

旦那は、妻の布団を捲った。

夜着に身を包んだ妻にむかって何かつぶやき、そっと耳たぶを甘噛みする。

舌先で耳の輪郭を舐めると、お藤さんがかすかに身じろいだ。

気をよくした旦那は、そのまま首筋に舌を這わせ鎖骨に歯を立てた。

鼈甲の簪のような、華奢な鎖骨だった。

帯紐に手を伸ばせば、お藤さんは小さく首を振った。

わずかに乱れた髪が濡れた首筋にへばりつく。

旦那は、大丈夫、とあやしながら、帯紐をほどき、夜着を肌蹴させた。

 

 

……あ゛っ!!!

 

 

旦那はそれきり絶句して、お藤さんの体を凝視。

 

 

 

顔は見えるようになった。

けれど今度は

 

 

お藤さんの 

 

胸(F) が 

 

消 え て い た 。

 

 

 

由良は実験ノートに一言、こう付け加えた。

 

「百色薬の効能。

もっとも愛しい物が変化すれば、認識の消失はそれと連動する

 

 

 

 

<第二幕 終>

 

アトガキ

付箋が発明されたのは20世紀に入ってからで、江戸時代にはないらしいです。

 

 

(明日に続く ※→第三幕

 

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