前回の話を読む→清澄回(二)

妖式コンゲームとは何か

 

 

 

黒い髪は、音もなく湖へとけこんでいく。

水底にてまねきでもされているかのように、彼女は水面へ指を伸ばした。

 

「だめ!!!」

 

叫びながら茂みから飛び出すと、彼女はゆったりとこちらを振り向いた。

前かがみになったまま首を傾げると水面に浮かぶ髪の毛がふわりたゆたう。

そして膝下まで湖につかっている片足をゆらした。

荒い波紋が湖のほとりまで広がっていく。

 

「わたしたちでよかったら、何があったか話聞きますよ」

 

智永は落ち着いた口調でほとりへ近づく。

彼女は、水面に触れている指先をちょんとうごかした。

音が、と彼女は口走った。

 

「音 が 鳴 り そ う で し ょ ?」

 

そういって、まきおこった波紋を細い指ではじいた。

開いた口が塞がらなかった。

湖に生まれた波紋は、三味線の弦に見えないこともなかった。

彼女は、沸き立つ波紋に指先でちょいちょい触れながら、小唄を口ずさむ。

 

彼女の指先は陽気に動きまわり、湖は喜んで尻尾を振る犬のように水面を荒立てた。

 

思わず、ぽつりとぼやいた。

 

「メンヘラか」

 

ぼくの頭を智永がはたいた。

「あんまりいい言葉じゃないな」

「だって、水面にできた波紋を弦に見立てて、音がしそう、って」

「するかもよ、音」

「しないよ」

 

彼女の名前は、静、といった。

年は十四、五といったところだろう。

町はずれに住んでいて、たいてい、この森でこうして三味線を弾いているらしい。

濡れた手を袂でぬぐってから、再び静は小唄を歌った。

 

静を遠巻きに見ていた智永も、それを聞くと熱っぽい目で

「どうしてもっと大勢の前で弾かないの。もったいないよ」と迫った。

けれど静は首を振る。

 

「自分のためだけに弾く時間がね、大事なの」

 

智永は静に熱い視線をむけたまま、少しだけ頬をあからめた。

ぼくはたまらず、静にむかって、あの、と話しかけたけれど、同時に静も、ねえ、と口を開いた。

「ねえ、あなたたち、どうしてそんなことしてるの?」

静が立ち上がると、ぼくらよりずっと身長が高かった。

そんなことって、と智永が尋ねる。

 

「衣、取り替えてるんでしょ?」

どうして分かったの、とぼくは目を丸くした。

 

 

「て」

 

静はぼくらの手元を指さした。

手?

ぼくと智永は互いに手をまじまじと見た。

智永の手は透き通るように白いのに、ぼくの手は水仕事やいつもの修行で荒れている。

御曹司のような身なりなのに、傷ついた手のぼく。

汚れた衣なのに、なめらかな手の智永。

手と衣が釣り合っていなかった。

 

「それにふたりとも、帯紐の結び方が変だよ。着慣れてないんでしょ」

 

直してあげる、と静はぼくと智永の紐をきちんと結んでくれた。

ぼくらは、互いの生活がつまんないから、こうやって遊ぶことにしたんだ、と取り替えっこの事情を説明した。

すると静は微笑んでぼくの頭に右手を、智永の頭に左手をのせた。

 

涼やかな顔立ちとは反対に、生温いてのひらだった。

意識が遠くなる。なぜだか、とても嫌な感じがする。

あの感じに似てる、課題が終わってないのに眠くて仕方なくて何も手に付かない夜だ、そんな時みたいに、逆らえない眠気が襲った。

身を任せるしかない、と諦めた瞬間気持ちよくなってしまうような暖かさ。

ぼくはつい目を閉じる。

静のてのひらはぴったりとぼくの頭を包み込んでいる。

 

「✕✕✕✕✕」

 

 

静が何か言った。

何? と聞き返そうとした時には、もう眠たくて声がでなかった。

 

 

 

 

 

 

冷たい月明かりと、温かいふくろうの声が交じいる夜だった。

僕は寝返りを打つ。

すぐ傍では静が寝息を立てている。

 

手を伸ばせばどうこうできる距離にいる。

静は仰向けになって寝ている。

夜着の襟がゆるみ、白い胸元があらわになっている。

僕はそっと寝顔を覗きこんだ。

(死んでるみたいだ。)

着物の上から静の胸に触れてみる。

仰向けになっているせいか、てのうちに収まる小さな膨らみだった。

ぎゅう、と胸を握ってみると、寝ているはずの静の眉間にシワが寄った。

呼吸を整える。

静の着物の裾を手繰り寄せた。

傷ひとつない綺麗な足だ。

夜風が冷たいのだろうか。静の足の指がぴくりと動いた。

僕は静の足を撫でながら、足の親指に舌を這わせた。

口に咥え、爪と肉の境目を舐める。

足の甲に唇と押し付け、ふくらはぎを齧った。

次に膝の内側を、それから太ももへ。

身体の中心部に向かって少しずつ舌を動かしていく。

この後、どうしたらいいんだ。

 

内腿の肉をかじると、静が目を覚ましてしまった。

血の気が引いた。ごまかし用がない。

青白い顔をした静が言う。

「そういう性癖なの?」

僕は静の股ぐらに埋めていた頭を抱えながら、は? と聞き返す。

「死体じゃないと襲えないの?」

 

 

罵るならせめて、

夜這いじゃないと襲えないの? 根性無し。

とかにしてくれないか。

 

 

唖然。

突然、天井から馬の嘶きがした。

蹄が激しく屋根を打つ。

雨音か?

屋根が真っ二つに割れた。

一滴の水が垂れてくる。

顔を上げる。

空に滝が現れた。

濁流が僕を襲う。

 

静の名前を呼びながら空へ手を伸ばした時

ハッと目が覚めた。

 

隣では静がすやすや寝ている。

夜着が乱れている様子はない。

僕はのどぼとけをかきむしった。

あれは夢だったらしい。

まだ太陽は登ったばっかりだ。

 

「死体じゃないと襲えないの?」

 

と夢のなかでまでズレたツッコミをされたことにげんなりしながら

身体を起こした。

 

 

静と知り合ってから、かれこれ十年がたつ。

初めて森のなかで出会って以来、僕ら三人はよくここで遊んだ。

静は家庭の事情でここで一人暮らしをしなければいけないらしい。

時々、三味線や長唄の師匠をやって小金を稼ぎながらうまいこと生活している。

智永はすっかり城抜けの達人となり、隙を見てはしょっちゅうここへ遊びに来る。

お目付け役の家臣が智永を必死で探しているのを見て、最初は申し訳なさそうにしていた智永だったが、最近は「あいつらも大変だなぁ、何か土産でも持って行ってやらないとな」と悠然と構えている。

 

そして十七になった僕は、この家で静と一緒に暮らしていた。

十六の時、寺を抜けだした。

寺の住職である父が「元服を迎える前に修行を積むぞ」と、断食滝行火炙りを僕に言い渡したのだ。

もう、修行という言葉に飽き飽きしていた。

嫌がらせか。僕は火が嫌いだ。

そこまでして僧になりたいわけでもない。

嫌気がさして寺を捨て、そのまま静の家に転がり込んだのだ。

 

十年たって、僕らの身長は静よりも高くなった。

けれど、もうすぐ二十四歳になる静は、初めて出会った頃にも増して大人びた凛とした顔をしている。

真剣に本を読んでいる姿などを見ると、まだまだ静には並べないのだな、とつい一歩後ろに引いてしまう。

 

 

 

静はまだ寝ている。

僕は音を立てずに厠へ立った。

昨日見た夢を思い返すと頭痛がした。

たとえ夜這いでも、抱けない。

一つ屋根の下で暮らしていても、静の素肌に指一本触れられはしなかった。

別に欲しくないけど、と呟きながら、袴を下ろし、用を足そうとした時に気づいた。

下着が汚れている。

その白いベトベトを紙くずで拭うと、悪態をついた。

 

 

朝、静の作った味噌汁を啜っていると、馬の足音が近づいてきた。

小さな嘶きとともに、戸を叩く音がした。

静は慌てて髪に櫛をいれ、唇に薄い紅を引いた。

僕は身なりを整える静を軽く睨む。

まだ目覚めの悪さから立ち直っていない僕は、とっさに指の臭いをかいだ。

なんとなく、あの白いベトベトの臭いが残っているようで余計に気が滅入った。

 

 

智永は、馬から颯爽と降りると、

「鳥が起きるより先に城を抜けてきた」と笑った。

しゃんと伸びた背筋、紫の衣が朝風に翻る。

ヤツの凛々しさに負けじと歯をくいしばったが、まだ眠たくて欠伸が漏れた。

智永は、土産だ、と、羊羹を静に手渡した。

夜空を練り固めて作ったような、しっとりした味がした。

「話したいことがあるんだ」

 

と智永は家に上がり込むと、きりりとした眉をしかめた。

 

《置いてけぼり事件》というのが勃発しているらしい。

 

堀で「置いてけ」という不気味な声を聞いた大人は、たちまち子供のことを忘れてしまう。

親に忘れられた子供たちは行き場を無くし、町をさまよっているらしいのだ。

 

 

「なんとか、したいんだ」

智永は楊枝に挿した羊羹を、躊躇いがちに口に運ぶ。

 

「なんとかできるのかよ。こんなおおきい事件、手におえるか?」

できるわけない。解決できたら、かっこよすぎる。

智永がそんな偉業を達成したら、静は智永に惚れるかもしれない。

 

「このくらいの事件でとどまってるうちに、早く手を打たなきゃ」

「僕も静も、その日の米を手に入れるだけで精いっぱいだ。とても、周りの事まで見きれない。まずは自分の身の回りのことをどうにかするべきだろ」

僕の言うことは最もだ。冷静な判断を下せる僕、智永より大人だな。

ふん、と鼻を鳴らすと、静がすかさず、

「鼻詰まり?」と尋ねる。

 

智永が僕を鼻で笑った。

 

「違う。目標がでかすぎ、遠すぎだろ。身近なこともどうにかできないようじゃさァ……」

 

僕はそう説明しながら静が出してくれた茶を啜った。

唇をすぼめる。

ものすごく薄くって、貧乏の味がした。

 

智永は唇の端を持ち上げて微笑む。

 

「江戸の町すべてが私の身の回りだ」

 

智永は静がいれた茶を全部飲み干すと、すっと立ち上がった。

城に戻る、と言い残し、戸を開ける。

 

「もう少しゆっくりしていかないの?」

 

唇を半開きにして羊羹を咥え込んだまま、静は智永を引き止めた。

僕は、静の艶っぽい横顔を眺めて唇を噛む。

智永は「置いてけぼり事件の資料集めたいんだ、よかったら協力してくれよ、また来るから」と爽やかに言い捨て、馬にまたがった。

 

しんとした部屋で、二人。取り残された。

僕は静のほうへ向きなおる。けれど静の顔は智永が出て行ったドアの方を向いている。

心なしか、少し目が潤んでいた。

静、と呼びかけると、彼女ははっとして智永が飲み終えた湯呑みを片付けた。

それから僕の湯呑みに茶をつぎたして、ねぇ、と僕の顔をみあげた。

 

「智永さんのために何ができるかな?」

 

さぁ、と受け流すと、静は

「智永さんはミニスカートの女子ごときじゃ喜ばないもんなぁ」

着物の裾を軽く持ち上げ足を顕にした。

思わず目が釘付けになる。

 

 

「智永に何かしてやる必要なんてない、男はなんでも一人でやってくもんなんだからほっとけ」

 

 

……と、

静の家に居候している僕が言う。

 

 

ねえ、と静は急に真面目な顔に戻り、智永さんと仲良しでいてね、と僕に頼んだ。

なんでだよ、と聞くと静は「智永さんには清澄くんみたいに補佐してくれる人が必要なんだよね」とつぶやいた。

補佐、という言い方が癪に障った。

有能な右腕ならいくらでもいるだろ、あいつは将軍になるんだから。

僕はアイツの後ろに立つ気はさらさらない。

 

その晩は静のところで少し早めの夕飯を食べた。

三人で使うために買った、大きめの鍋を二人でつつく。

せっかく、静と二人っきりなのに。

 

盆に載せたまま、部屋の隅にある智永の羊羹が

黒い文鎮みたいに心にのしかかってきて、静の顔を見ても、笑えなかった。

 

鍋でお腹がふくれると、僕は横になった。

羊羹余ってるけど食べる? と静が聞く。

 

なんでこんなに違うのかな、と羊羹を眺めた。

僕は、羊羹なんて、おいそれと手土産にもってきたりできない。

摘んだ山菜を渡すくらいが精一杯だ。

 

なめらかな羊羹の舌触りと、それを食べた時の静の笑顔を思い出す。

 

僕は羊羹をたぐりよせた。

ひとさし指を伸ばし、黒々したその塊に指を突き立てる。

 

ぷつりと冷ややかな音をたて、僕の指先は羊羹に埋まった。

 

引き抜いて、羊羹の欠片がくっついた指を咥える。

砂糖の塊につきさしたはずの指からは、何故か塩辛い味がした。

 

 

 

 

 

 

(明日に続く →清澄回(四)

 

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