前回の話を読む→清澄回(七)を読む。

妖式コンゲームとは何か。

 

 

 

青い指の琵琶法師が弦を鳴らした。

「まあ、少し聞いてくださいよ旦那」

瞼には火傷の跡。

藍染めによる青い指。

かつて僕を襲撃したあの男に違いない。

火傷の理由を尋ねると、彼は返答代わりに琵琶を弾いた。

黒雲が流れ、時折生まれた隙間から三日月が覗いた。

月が震えているようだった。

途切れた雲の間から落ちる青白い光が、目前の布を照らす。

 

開いた口がふさがらなかった。

呪術、としか言い用のない所業だった。

布は水盆のように潤い、生気が溢れている。

刺繍された小鳥が、布の中を羽ばたく。

紺色に染まった布は夜空、金色の糸は鳥の尾羽根だった。

 

野犬の遠吠えが聞こえる。

琵琶の音はそれに負けない。

彼の琵琶に合わせ、小鳥は絹でできた夜空を舞う。

小鳥が一回転すると、布に白い霞みが生まれ、雪をこぼしたような染みが生まれた。

 

「この鳥、刺繍だろ」

 

思わず呟く。

すると彼はようやく手を止めた。

音が鳴り止むと、布の中の小鳥は、ただの刺繍に返った。

羽ばたくのをやめ、かくれんぼの最中みたいに静止する。

 

「この火傷について、でしたっけ」

 

琵琶法師はバチで瞼を撫でた。

左目が扇状のバチに隠される。

今夜は月が眩しい。

茶色い痣がよく見える。

「これは私の執着心が招いた所業なんでね」

彼はあっけらかんと生い立ちを語り始めた。

欲しくて仕方なかったんだ、と彼は言った。

彼は江戸一番の染物屋だった。

世界で一番美しい染め物を作り、その布を毎日眺めて暮らすのが彼の夢だった。

最高傑作といえる着物を手元に置いておくため、依頼主から奪い返そうとしたが、

その過程で目を失ってしまった。

そうなっては染物屋を続けることも、命より大切な布を愛でることもできない。

彼は色のついた着物を拒んだ。染め物に使う藍や紅の匂いを嗅ぐだけで目眩がし、

時に吐いた。

染め物からも、上等の布からも遠ざかりたかった男は、

粗末で真っ白い修行衣以外纏わなくなった。

染料や、絹の手触りへの執着を捨てるため、書道、座禅、読経、空手、

染め物と関係のない物に励んだ。琵琶もその一環だった。

しかし、どんなに離れても、瞼に鮮明に浮かんでしまう。

指紋にまでしみた藍色の深みは消えなかった。

染め物に取り憑かれてるんだ、と彼は開き直った。

生きている限り、染め物のが落ちないのなら、逃げられないのなら、

いっそ死のう。

そう決意した時だったらしい。

今の能力を得たのは。

 

「大事なのは目じゃないんだ。

私が生きてる限り、私は至上の布を作りあげることができる!」

 

私はコレと生きてるんでね、と彼は笑った。

息を呑んだ。

軽く目眩がした。

目を潰してしまった罪悪感は、もっと大きな感情に押しつぶされた。

思わず膝をついて座り込み、琵琶法師の顔を見上げる。

 

あらい息遣いが聞こえた。

僕のでも、琵琶法師のものもない。

犬の唸り声がすぐ傍で聞こえる。

壁の影にそいつはいた。

真っ黒い犬が顔をのぞかせていた。

赤い目をしている。

犬と目があった。

途端に、犬が突進してくる。

僕は立ち上がりふところの短刀に手を掛ける。

鼓膜が震えた。

琵琶法師だ。

バチを握り、彼が一曲吟じ始めた。

布の中で眠っていた小鳥が目を覚ます。

法師は足で布を蹴りあげた。

それが僕を守る盾になる。

犬が牙をむいた。

こんな布、すぐ食い破られるに違いない。

琵琶の音が激しくなる。

絹に閉じ込められていた小鳥が宙を舞い

大鷲に化けた。

そしてクチバシをカッと開くと、耳をつんざくような声で一声鳴いた。

 ・

琵琶が止む。

布ははらりと地面に落ちた。

大鷲の一声は裏路地に木霊していた。

野犬は、尻尾を巻いて逃げ出した。

「瞼は開かないけどね、私は私のすべきことをできてる」

首筋を冷や汗が伝った。

膝の力が抜けていた。

僕はおずおずと尋ねる。

「その、昔欲しかった衣のことは、今でも……?」

ああ、と琵琶法師は即答した。

「今でも夢に見るよ、悔しいけれど、そればっかりは仕方ないんです

やっぱりあれはね、どうしても欲しいんだ、と口にした。

衣か……と僕が呟いた時、丁度鐘が鳴った。

もうじき木戸の閉まる頃だ。

僕は「布の中にいる小鳥に餌をやってから帰る」という琵琶法師を置いて、

路地を後にした。

 

 

 

 

 

江戸城内は騒がしかった。

盆を持った下女が廊下を駆けまわり、文を持った家臣が行き来する。

一段高い座敷に腰掛けていた智永は、そこから降りると僕と膝を突き合わせる。

無理に江戸城に忍び込んだ僕を見て、

智永は「意外と度胸座ってるんだよ、君は」と腹を抱えて笑っていた。

 

少しだけ乱暴な手口を使った。

町中で、将軍家の家臣が置いてけぼり調査をしているのを見かけた僕は、その男に手刀を打ち込んだ。気絶させ、衣を奪う。そして家臣になりすまし、何食わぬ顔で江戸城に忍び込んだのだ。

 

「まったく、取り替えっこが好きだね」

 

家臣の服を奪った僕を智永はじろじろ眺めた。

取り替えっこといえば、と

僕は、かつて出会った染物屋が琵琶法師になっていることを伝えた。

「それで、あの時の衣を、」と本題に入った時、

廊下から「智永様!」との呼び声がした。

智永が返事をすると、戸が開く。

家臣は床に四本指をつき、深々頭を下げた。

 

「置いてけぼり事件の子らを住まわす長屋建設の件ですが」

 

智永は、すまない、と僕に断りを入れ、家臣の報告に聞き入った。

「智永さま」

また別の家臣が駆け込んでくる。

「子どもらに与える食事の件ですが」

「親のいない子らに勉学を教えてくれるよう手習い所に話をつけて参りました」

次々に家臣が出入りし、気づけば智永は僕らより一段高い畳の間へ上がり、

筆を取っていた。

目の前に次々と家臣たちが現れ、僕は部屋の一番後ろに追いやられていた。

「おい、用が無いなら退けてくれないか」

将軍家直属の、僕が着てるのとお揃いの着物に身を包んだ男がぼやいた。

退けようにも長いこと正座していた足がしびれて、立ち上がれなかった。

視線を上げる。

智永、と彼を呼ぼうとしたけれど、その真面目な横顔を見て口をつぐんだ。

彼の目には、江戸の町しか写っていないんだ。

 

智永さま。智永さま。智永さま。

 

家臣の声に圧されて、僕は押し黙る。

ふ、と智永が顔をあげた。

 

「悪い、ちょっと待っててくれないか」

 

家臣が引けると、こっそり庭に出た。

裏手にある蔵に案内される。

智永は鍵を開け、箱を取り出した。

息を吹きかけるとホコリが飛び、桐箱の表面に立派な彫り絵が施されていた。

「この衣は手放せなくってね」

十年ぶりに陽の光を浴びた衣には、虫食いひとつ、シワひとつなかった。

大事にしまわれていたようだ。

智永は衣をひろげ、なつかしい、とつぶやいた。

その衣は太陽の明かりを吸って、生き生きと袖をなびかせる。

「取り替えっこか。さすがにもう着れないな」と僕が言うと、

智永は「着たいと思わないだろ?」と答えた。

確かにそうだ。

 

「また桃でも食いたいな」

智永が言った。

 

「今度は僕がオマエに桃をぶつけてやるからな」

 

「まだ根に持ってたのか」

 

智永が声をあげた時、風が吹いて梢が揺れた。

 

 

 

紫色の着物は、水のように柔らかかった。

それを抱えて、江戸の町を歩く。

初めてこれに袖を通した日、わくわくしたっけ、と昔のことを思い返した。

けれど、今同じように取り替えっこをしても、あの時の興奮はないだろう。

僕には袈裟が似合うさ。

将軍家家臣の衣を脱ぎ、元の着物に着替えた。

 

母親に手を引かれた少年が「生ぐさ坊主ー!」と僕を指さしてはしゃいだ。

こら、と母親が少年を叱る。

肩の力が抜けた。

僕には何ができるだろう。

智永の衣を風呂敷に包むと、

僕はたるんでいた袈裟の帯を、きつく締め直した。

 

 

 

 

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