ここ数年、食事のテーブルの上では大きな変化が起きている。

 

 かつて、美味しそうな料理が目の前にあったとき、まずはそれを見て楽しむ、香りを楽しむ、すぐ食べる……など、人はさまざまな行動に出た。今もそうだ。しかし、それは自ら料理の味覚を楽しむための行為ばかりである。だが現在、我々はスマートフォンで料理の写真を撮影し、SNSに投稿することを覚えはじめている。Twitterに投稿してフォロワーからの反応を見たり、Instagramではいいねの数に満足したりと、少なからず身に覚えがある人もいるはずだ。

 

 それを人は、「飯テロ」と呼ぶ。不意に(特に深夜)タイムラインに流れてきた料理写真の破壊力をインターネッターは、そう名づけたのだ。だが、なぜ人は飯テロをするのか。

 

 そのことを知るために、ここでは飯テロと同様に読んでるだけで腹が減ってくるマンガを1995年の『喧嘩ラーメン』(日本文芸社 1995-1998 )以降書き続けている土山しげるの作品を採り上げたいと思う。そこからは、グルメマンガとインターネットの関係を読み解けるはずだ。

喧嘩ラーメン 1―メン道一代 (Gコミックス)

 

記憶のグルメマンガ『極道めし』、記録のグルメマンガ『美味しんぼ』

 

 まずは『極道めし』(土山しげる 協力・大西祥平 双葉社 2006-2012)を紹介しよう。本作はある暮れも差し迫った日に、受刑者同士が自分の記憶を頼りに過去の食事体験を、同房の受刑者に話して聞かせるところから始まる。聞き手が「唾」を飲んだ数に応じて勝敗を決め、勝者は他の受刑者のおせち料理から一品ずつ好きな料理をもらうというゲームに、彼らは興じていく。

極道めし 1 (アクションコミックス)

 

 だが、唾を飲み込むのは、作中人物だけではない。各々の受刑者が持つ渾身の食事エピソードは、聞き手にもまた「共感」という唾を飲み込ませる。そこで重要な役割を果たしているのは、食事そのものよりも、その食事にまつわる文脈とシチュエーションの、一回性の記憶だ。例えば、ある受刑者は逃亡の末に行き着いた実家で、母親が作った何の変哲もない味噌汁と白いご飯を食べた話を語る。また、別の受刑者は冷めたすき焼きにご飯を入れて温め直した牛丼風のすき焼きをかっこんだ話を語るのだ。

 

 一方で、これと正反対に位置するようなマンガも存在する。それは例えば、お馴染みの『美味しんぼ』(作・雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館 1983-)だ。このマンガは「究極vs至高」が象徴するように料理や食材そのものを掘り下げていく。雁屋は圧倒的な情報量で読者を「納得」させてゆく。いわば彼は、知識を刺激して食欲を促していると言える。とはいえ、実際のところさっぱり腹が減らないのだから、食欲を促すと言えるかは怪しいかもしれない。どちらかというと、漫画の面白さとしては、海原雄山と山岡士郎の親子喧嘩だったり、初期の栗田ゆう子の萌えキャラっぷりに目が行くのではないか。

美味しんぼ(1) (ビッグコミックス)

 

 両作品の語り口の違いをまとめよう。『極道めし』においては話し手個人が持つ食事の一回限りの記憶(=エピソード)が聞き手に共感を促す。一方、『美味しんぼ』においては山岡士郎や海原雄山が話す料理や食材が持つ記録(=ヒストリー)が聞き手に納得を要求する。

 『美味しんぼ』が、ある意味で説教臭い語り口で知識を刺激して食欲を誘おうとするのに対して、『極道めし』はダイレクトに食欲を刺激してくるのだ。

 

エピソードとしてのグルメマンガ

 その違いは、両作品における読者の立ち位置にも影響する。

 

 『極道めし』はそこに存在しない食事の思い出を語るので、読者と聞き手側の受刑者の立ち位置が近いものになり、より食欲に没入しやすくなる。一方で、『美味しんぼ』では料理を目の前にしてその料理の意味を語られるだけで、読者はその視点に没入できず、そんなに食欲が湧かない。エピソードへの同化は食欲を刺激しやすいのだろう。

 つまり、記録ではなく記憶の戯れが人々の食欲を刺激するのだ。そこにフランス料理が持つ歴史性や寿司職人が持つ技巧、額に白タオルを巻く腕組み自意識系ラーメン屋が壁に書くこだわりなど意味を成さない。肉の焼ける音、ご飯に染みこむ生卵、半熟卵のとろとろのオムライス……こうした情景が必要なのだ。

 

 また、Webサービスから見ると『美味しんぼ』はレビューサイトの食べログ的な記録(=ログ)を重ねるWebサービスと重なる部分が多い。その場で起きている(イマココ)食事の断片を画像とともにSNSに投稿することは、極めて『極道めし』的である

 

 ところで、エピソード寄りのグルメマンガで現在、最も知られているものに、『孤独のグルメ』(作・久住昌之 画・谷口ジロー 扶桑社 1994-1996 2008-)がある。主人公の井之頭五郎が、仕事で訪れた土地でぶらっと入った店での食事風景と細やかな心理描写が楽しめる作品だ。しかし、90年代半ばに連載された『孤独のグルメ』の「遅れてきた人気」は、作者の先見の明を示すものではないだろう。むしろ重要なのは、本作を楽しめる土壌が2000年代後半に、インターネット上で形成されたことである。

孤独のグルメ (扶桑社文庫)

 

 その点で言えば、ちょうどmixiが盛りあがっていた時期に『極道めし』の連載を始めた土山しげるは、その後に訪れる「繋がりの社会性」が本格化してゆく時代の空気とシンクロしていた食事を投稿して人に見せびらかせるアーキテクチャができたとき、人々はネットに食べ物の写真をうpするようになった。美味いモノを食った感動を伝えるのに知識はいらない。ちょっとのエピソードと一枚の画像があれば、みんな共感して腹を減らしてくれる。それが「飯テロ」の真実だ。

 

エピソードすらいらない?

 しかし、土山しげるは、どこまでそのことを明確に認識しているのだろうか。

 

 『極道めし』を終えた土山しげるは、次に描いたマンガでついに、食にまつわるエピソードすらも捨て去った。その名は『闘飯(とうはん)』(双葉社 2012-)である。本作は「エア食事対決マンガ」である。対戦者二人は料理がまるでそこあるかのように(食器や調理器具の利用は認められ、実際にはマンガなので読者に料理は見えている)食事をする。「美味しそうに食べるマネ」をして、その二人のうちのどちらが、美味そうな食事シーンを演じられるか審査員にジャッジさせる。いわば土山は、ついに「飯テロ」には、実は料理もエピソードすらも必要としないという認識に到達したとも言える。

 

 まるで落語の「時そば」のワンシーンを見ているのに近いその描写は、説教臭いグルメマンガとは違って、演じる側を簡単にマネしやすく同期しやすい為に、ぼくたち読者の胃袋をダイレクトに刺激してくる(ただ食べてるだけなのに!)。1950年生まれ、齢63歳の土山は、人の食欲を刺激する表現の限界を探った結果、飯テロの時代と並走するにいたり、すでにそれを追い越し始めているとも言える。だが、それはグルメ漫画の歴史において、どのような意味を持つのだろうか。

 

闘飯(1) (アクションコミックス)

『闘飯』第一話(電子書籍)

http://futabasha.pluginfree.com/weblish/futabawebact/Tsuchiyama_Touhan_001_1_1D9AF/index.shtml?rep=1

 グルメマンガは大きく分けて、二つに分類できる。一つは『クッキングパパ』(うえやまとち 講談社 1985-)などに代表される料理を「作る」マンガだ。作って食べるまでが一つのストーリーになっており、各話の最後にはレシピも掲載され「作ること」に軸足を置いたマンガと言えよう。二つ目は『美味しんぼ』に代表される料理を「批評」するマンガだ。料理の意味を「語ること」に見出している。

クッキングパパ(1) (モーニングKC (1004))

 

 それに対して、『闘飯』を筆頭に土山作品に多く見られる「食べる」マンガは、料理の画もさることながら「食べること」に軸足を置いている。つまるところ、食事をするのに調理のシーンや、料理語り、店を選ぶ過程などは必要無く、ただ美味そうに食べているシーンさえあれば読者は腹が減るのである。それは、漫画によって料理を描くという行為における一つの回答なのかもしれない。

 だが、正直なところ、土山の手法はグルメマンガにおいては異端だ。というか、土山くらいしかやってないだろう。作って食べるから作ることを、語って食べることから語ることを抜き、ただ純粋に「食べること」の表現を追い求めていく。もちろん、ただ食べてるだけではマンガにならないので、戦いに仕立て上げてはいるが、本質はやはり、食事シーンだ

 しかし、その先にあるのは、いったい何なのだろうか。『孤独のグルメ』のドラマ版は、シーズン3まで続いているという。人は画面に映った美味しそうな料理の写真を見るのも好きだが、美味しそうに食べている人を見るのも好きなようだ。特に日本においてはグルメ番組の数が異常だとどこかで聞いたことがある。『闘飯』もまた美味しそうに食べているだけのマンガだ。ちなみに僕は今後、Google Glassなんかが普及したら、食事を食べる視点の動画投稿が流行るかもしれないと予測している。それはきっと、エピソード共有型の食事風景の先にある、より直接的な、食事という一回性の体験を共有する手法だからだ。

 

 

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川口いしや

川口いしや

平日サラリーマン。週末ライター。早く会社辞めたい。グルメとかヤンキーとかについて考えるのが好きです。

 

▼活動履歴▼

1986年〜 山形県にある天童病院の駐車場で産まれる。
2011年〜 インターネットでナンパしてたら「ねとぽよ」にノウハウを書くことになって、今に至る。