「形骸化したカウンター・カルチャーのオシャレな部分だけすくい取ってソフトカウンター・カルチャーなるものをライフスタイルの一部にしたがる若者が少なからず存在する」

――菊地敬一『ヴィレッジヴァンガードで休日を』

 

サブカルチャーは何を夢みた?

 

菊地君の本屋

 

 にわか仕込みのセンスで文化通を気取る人たちが、「サブカル(笑)」「自意識(笑)」とからかわれていたのは、すでにひと昔前の話だ。サブカルチャーの担い手たちが、趣味へ打ち込む生き方への迷い、焦りを語り出している。

 去年の春頃から、「サブカル者」としての生き方を反省する書籍が3冊出た。大槻ケンヂ『サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法』(2012年4月)、吉田豪『サブカル・スーパースター鬱伝』(2012年7月)、渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』(2013年7月)だ。

 文化消費そのものを論じたものではないけれど、北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』(2011年8月)や雨宮まみ『女子をこじらせて』(2011年12月)も、こうした感覚を共有した書籍だと言っていい。どの本にも多かれ少なかれ、経年感と悲壮感と、裏腹な明るさとユーモアがある。

 

 ウェブ記事にも「サブカル」のことを、実態が再点検されるべきだとか、もう終わってしまった流行りだとか、懐かしい思い出だと見るエントリがいくつも書かれている。

 熊代亨「オタク・サブカル・ヤンキー、どれが歳をとりやすいか」は、サブカルチャーの担い手を3類型に大別した上で、「サブカル者」として生きることの難しさを丁寧に説明していた。小野ほりでい「“超”初級サブカル女子入門」は、にわかな文化消費者の愛すべき痛々しさを、ほのぼのした諷刺で描いた。懐古調の半生記には、鈴木真吾「余は如何にしてサブカル者となりしか」がある。

 もちろん、ひとつの文化が始まったか・終わったかを見極めるのはとても難しい。ここまでに挙げたどの著作も、それぞれちょっとずつ別の文化風土を見つめていた。けれども少なくない人が、サブカルチャーという語に煮え切らない思いを抱いている空気は如実にあった。どうしてこんなことになってしまったのか。それを知りたくて、ヴィレッジヴァンガードの創業者である菊地敬一の回想録を読んでみた。

 それまでは、あれほどの書店チェーンを作り上げたのだから、創業者はきっと若者文化のビッグ・ブラザーか、時代を先取りしたプラットフォーマーだろうと期待していた。ところが彼の思い出話には、遠大な文化論も、鋭い社会分析も全然出てこない。純文学とジャズが好きで、経理とパソコンが苦手で、ベストセラーと万引きが嫌いなおじさんが、「本屋の経営は、大変だし儲からないけど楽しいものだ」とひたすらに語っていた。

 まだ生まれていなかったから、創業当時のことを僕は詳しく知らない。都会育ちの同世代たちが、愛憎入り交ぜて「ヴィレヴァン(笑)」と呼ぶ空気も、地方から上京するまではまったく知らなかった。ヴィレヴァンについて僕に聞かれて、文学部にいた先輩が、「メジャーにマイナーなサブカルチャーの代名詞」なんて笑い話にして教えてくれたのはいつだったか。初めて聞いたときには、なんて敷居の高いブラックジョークだと呆れた。

 実像が、よく分からなかった。実店舗を訪ねればそれぞれの店の個性とスタンスが全身で感じられる。だけどすべての店舗に通底する、根本理念みたいなものは辿れない。創業当時の現場では、何が起きていたのか。彼の本屋トークを慎重に読みながら、日本のサブカルチャーを扱った書籍の書誌を作るうちに、少しずつわかってきた。

 

対抗文化の輸入元から、地下文化の発信地へ

 

ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を

 

 まず手にとったのは2冊。『菊地君の本屋』(1994年1月)と、『ヴィレッジヴァンガードで休日を』(1997年9月)だ。前著は菊地の語り下ろしや書店人との対談を編集して、初章に総論を添えたもの。編著者の永江朗は、書籍業界のルポやレビューを数多く手がけている。後著は菊地が図書館業界誌で連載したエッセイをまとめたもので、2005年に文庫版が出ている。

 どちらもヴィレッジヴァンガードが、フランチャイズ展開を本格化する前に書かれた。奇しくも、この国のサブカルチャー評論が、大きく広がり始めた直後だった。そしてそれは、出版業界が長い売上減少期に入り、インターネットが日本へ普及していく前夜でもあった。その歴史と並走するように、ヴィレッジヴァンガードは店舗拡大を続けてきた。その時々に書かれた両書では、理想と現実の板挟みを生きた人の苦労が、落ちついた語り口で書かれている。

 

 初めは「金太郎飴のアンチテーゼ」「新刊、ベストセラーの呪縛からの解放」を目指した起業だった。1986年12月のことだ。けれども開店当日は、「店が我儘過ぎたのである」(後著あとがきより)。見込みの6割しか売上が立たなかったようだ。『菊地君の本屋』では、細かな開店費用まですっかり打ち明けられていた。

 それから夫婦で必死に品揃えを調整しつづけて、地域の私大生たちに愛されるお店に育つ。ベストセラー書籍の代わりに、粗利の高い雑貨で稼ぐやり方も分かってくる。やがて「ヴィレッジヴァンガード定番リスト」が1万冊を越えて、フランチャイズ化の話が上がるほど評判になる。『菊地君の本屋』にはそれまでのことが書かれている。その日々を菊地は、単行本版『ヴィレッジヴァンガードで休日を』では、「早いもので、マンションを売り飛ばし、女房のなけなしの貯金を強奪し、いやがる娘を強制的に転校させ、渋る取次会社を説き伏せ、ヴィレッジヴァンガードという本屋を始めて十一年になる」とふりかえっていた。

 他にも『ヴィレッジヴァンガードで休日を』には、架空の店長昇格試験問題(すごく難解で、答えも1つに絞れない)や、当時のアルバイト学生たちのやんちゃぶりが愉快に描かれている。すべてがとにかく大変だったらしい。2005年に出た文庫版のあとがきでも、

「あの頃、自宅の屋根裏部屋のような一室が事務所であった。請求書が床に散乱し、それにはくっきりと、猫の足跡がついていたり、税金の督促状が机の上に山積みになっていたりとか、今思うと身の毛がよだつ惨状を呈していた」と書いている。

 アメリカのカウンター・カルチャーを紹介するつもりで始めた書店だった。それが10年ほどで、日本のマイナー文化を発信する一つの拠点となって、和製サブカルチャーの広がりをフランチャイズ全体で表現する文化インフラに成長する。店舗数も100を越えるまでになった。

 

でもそれでいいんですよ。

 

 どちらの本も、そうした成功は奇跡だったと謙遜する一方で、

「コンセプトとしてB級の勝利だったかもしれない。[…]B級とはディープにならないということだ。ディープになるとハマってしまう。ハマらず、とんがってはいないけど、とんがっているように見せる演出が重要だ」(『菊地君の本屋』より)

 と、軽薄さと平凡さをアピールするのだけど、前著の巻末に収録されたリスト「定番書1200」には、いしいひさいち、泉昌之、内田春菊、江口寿史、大友克洋、岡崎京子、CLAMP、高河ゆん、西原理恵子、士郎正宗、桜沢エリカ、しりあがり寿、杉浦日向子、高野文子、つげ義春、とりみき、根本敬、宮崎駿と、今や名だたる漫画家たちの名前が並ぶ。そんな品揃えを、菊地はGoogleもAmazonもWikipediaもない時代に作り上げたのだ。それでいて、良い本は棚で光ってみえるからなんてしれっと書く。すごい嗅覚の持ち主だと思う。

 だから前著の対談で、菊地敬一が今泉正光――リブロ池袋店の人文書棚を編集して、ニュー・アカデミズムの勃興に貢献した「今泉棚」が有名――との対話でみせる、

 

今泉 でもだからと言って、マニアックにひたすら専門的に突っ込んで行ったらかえってだめでしょう?

菊地 そうです。うちは入り口だけでいい。ジャズでもエリック・ドルフィーじゃだめ。セロニアス・モンクでもちょっと辛い。チャーリー・パーカー辺りが一番いい。ぼくが客なら、つまんないCDばっかり置いてあるなあと思うだろう。でもそれでいいんですよ。

 

 事の次第を見すかしたような語りからは、教養のボトムアップを担うことへのささやかな誇りと、理解されない寂しさがうかがえもする。というのも、この記事の冒頭に掲げた引用はこう続く。

「形骸化したカウンター・カルチャーのオシャレな部分だけすくい取ってソフトカウンター・カルチャーなるものをライフスタイルの一部にしたがる若者が少なからず存在する。V・Vはそれらの若者を騙して(笑)商売しているところが少しあります」

 ぎょっとする言い方ではある。僕もびっくりした。だけどよく読んでいくと、この本では「騙す」という語が、「教える」とか「育てる」という語とほとんど同じ意味で使われている。年老いた親が子育てについて、照れ臭そうに話すときのようだ。

 

洗練と普及のジレンマと付き合うこと

 

 それなら菊地が、日本の読者に広めようとした文化とは何なのか。当人にも見定めづらいだろうと僕は想像する。ヴィレッジヴァンガードの品揃えは時代とともに変わっていったし、そもそも彼の言葉にはぶれがあるのだ。それは「サブカルチャー」という語のゆらぎにも重なっている。サブカルチャーを論じようとするとき、定義や用法がすぐさま入り乱れて、関連商品が際限なく挙げられて、いくつもの歴史が対抗的に物語れるのは、この文化の豊かさの裏返しだ。菊地は、サブカルチャーが大衆文化として、洗練と普及を経験する当夜に立ち会ったのだろう。

 

 専門店の啓蒙くささが好きではないと書く一方で、彼はベストセラーを置く図書館をなじり、ハイカルチャーの引き受け役を期待する。「ヴィレッジヴァンガードはやっぱり入門用だ。マニア、こだわり派への入門だ」と宣言しながら、「収益性はよくなるとわかってはいますが、現在の書籍・雑誌七にグッズ三という比率を崩すと、店のコンセプト自体が怪しくなる」とこだわる。仕入れは感性だからと多店舗化を嫌がるわりに、次に作る新しい店舗のコンセプトを語りつづける。

 どうしてか。2012年6月22日に、Web連載「続・ヴィレッジヴァンガードで休日を」で菊地は、創業時は『ブルータス』を編集するような店作りを目指していたが、今は往時の『宝島』が念頭にあると語り、「僕の思いや夢、好きなことを、マーケットを広げるにつれて少しずつ捨ててきたということはやはりある」と答えていた。

 その意味で、前著『菊地君の本屋』に収録されている、江口淳との会話は示唆的だ。

 

江口 専門店ていうのは、遺れる(原文ママ)ことを前提にして作ってるような感じがする。

菊地 遺れないにしても、非常に厳しい。ほかに副業持ってないとできないよね。

 

 江口淳は、「1970年代の芳林堂書店」を作り上げた書店人だと聞いた。どう編集された本棚だったのかを僕は知らない。けれども江口の、「ぼくらがやってたことはあのままいくと西武百貨店になっちゃうから」というつぶやきから察せられるものはある。

 

 本当の理想的な本屋は二〇坪だと思う。二〇坪を手塩にかけて、店長一人でやったらすごい店になる。なんでもかんでも置くのは不可能だけど。それが究極の本屋になる。もち論広い店で、全部の担当者がそういう究極の担当者になればすごい。でも、それは不可能だ。ぼくの夢は、街なかの本しか置かない二〇坪の店をやること。これを道楽といったら小さな店の人は怒るかもしれない。でもやってみたい。

(『菊地君の本屋』より)

 

 菊地が語るこの夢は叶えられていない。現実がそれを許さなかったからだ。だからこそ現在のヴィレッジヴァンガードが生まれた。洗練と普及のジレンマと付き合いながら、日用品に文化を見い出し、新奇の文化を日用化しようとしてきた。

 ヴィレッジヴァンガードは「遊べる本屋」がコンセプトのサブカルチャー専門書店だ。 CD・ビデオショップや雑貨屋を兼ねた本屋として、1986年に名古屋で開店した。「サブカルチャーをファッションにした」と嫌われたり、「大好きなインディー・バンドを早くからプッシュしてくれた」と喜ばれてきた。近頃では電子書籍を取り扱ったり、不動産業に進出していて、何を隠そう「ねとぽよ」も本誌のダウンロードカードを販売してもらっている。今年の夏には「腐女子専門ショップを作る」と宣言してオンラインで話題になった。2013年の今では店舗数も393店を数える。

 

やがて本屋ではなくなっていった

 

 この国のサブカルチャーは、輸入文化と伝統文化の系譜を背負って、インディー文化やウェブカルチャーと混ざり合いながら細分化していき、いくつかの巨大なポップ・カルチャーへと再編されつつある。ではその最中にいたヴィレッジヴァンガードは、今ではどんな書店に変わったのか。

 ベストセラー書籍の代わりに、粗利の高い雑貨で稼ぐ。そうすれば、都会の一等地に店を構えなくても、ある程度マニアックな書籍が揃えられる。既刊も長く在庫できる。それがヴィレッジヴァンガードの戦略だった。ところがこの10年で、ヴィレッジヴァンガードは、いよいよ主業が本屋ではなくなった。各期末の決算説明資料を読んでいくとよく分かる。会社全体での書籍の売上構成比は、2003年(上場初年)から2013年にかけて、24.0%から10.2%に縮んでいる(2013年5月期決算説明資料より)。そのあいだにヴィレッジヴァンガード社内では、「ブックレス事業」である「ダイナー」「new style」「チチカカ」の展開が進んだ。出店方針も、郊外のロードサイド店から、イオン・パルコ・LOFTなど大型ショッピングモール内のショップへと移る。2003年にはJASDAQ上場を果たした。売上を伸ばすために、品揃えの比重は、雑貨(SPICE)へとより傾いていった

 

 その動きはこの国で漫画・雑誌が売れなくなっていくのと軌を一にしていたし、娯楽文化が日用のコミュニケーションツールとなる流れにも伴っている。長引く不況で娯楽・教養費が伸び悩むなか、漫画・雑誌を拠点としてきた出版文化の担い手が高齢化する一方で、ウェブが新しい文化の発信源となったのも周知の通りだ。決算説明資料にも「実用品が売り場を占め、型破りな商品・ユニークな商品が減少している」と、危機感が滲む。

 かく言う僕も、「ヴィレッジヴァンガードは書店ではなくなった」という世評に気を取られ過ぎていた。ヴィレッジヴァンガードの稼ぎ方は、実はごく初期から雑貨(と、書籍)だった。それが折からの出版不況で、いよいよ書籍の売上維持が難しくなっているのだろうか。もしくは話が逆で、書店としての機能をなるべく確保するために、別の事業への進出を続けているのだろうか。

 

同世代5人と懐かしい地元の雑貨屋さん

 

 いずれにせよヴィレッジヴァンガードは、「サブカルチャーの入門・発信地」の役割を残しながら、ちょっと変わった雑貨屋さんとしての店作りへと徐々に重心を移していった。

 サブカルチャー専門書店でさえ、「本屋ではいられなくなっていったこと」を、どう受けとめればいいか。自力で答えを調べられそうになくて、同世代たちに話を聴いてみることにした。生い立ちも、教養の質と量もそれぞれちがう5人を尋ねてみた。

 2人はヴィレッジヴァンガードのコンセプトに懐疑的だった。進学校出で、現代文化の入門はとっくに卒業した後輩と、サブカルチャー評論の浮沈をリアルタイムに見てきた先輩だ。もう1人はそもそもこの店を知らなかった。忙しくて遊んでる暇がないんだとも言った。

 あとの2人はヴィレッジヴァンガードの常連で、真反対の感想をくれた。

「ヴィレヴァンは田舎のオアシスだった」と言うAさんと、「何が面白いのかさっぱり分からない」と言うBさんだ。どちらも人口数万人単位の地方都市で生まれ育って、それぞれの学生時代を過ごしたあと、進学と就職を終えたところだった。

 

家の近所には何もなかったから、学校から近かったヴィレッジヴァンガードにはしょっちゅう通ってたんですよ」とAさんは話してくれた。

 

「雑貨屋さんもドン・キホーテもなくて、本屋も遠かったから、狭いところにモノがぎっしり詰まったヴィレヴァンの店内は居心地がよくて、一人で雑誌を立ち読みしに来たり、友達と雑貨を買いに来たりしてました。「サブカル」という言葉も当時はまだ知らなくて、澁澤龍彦を知ったのもそのお店ですね。ゴスロリバイブルとか∨系バンドの本とか、毒々しい棚があって。本屋さんではそういう、悪しきものを買いづらいじゃないですか(笑)」

 

 Aさんは都会で会社勤めをしながら、今でもヴィレッジヴァンガードには通っているそうだ。文化消費に熱心で、ウェブカルチャーにもかなり詳しい。仕事も趣味を活かしたものだ。当時は他に何を買っていたかも聞いてみた。

 

「村上龍とか中島らもとか、嶽本野ばらとか。そういうのは独りで読みに来ていて、友達と来たときはマニキュアとか文房具とか。それからイヤホンと、香水とかもだし、あとは……(とGoogle検索して、「グルーミー人形」の画像を見せてくれた)誕生日プレゼントを買って、みんなで送り合ってたんですよ。大槻ケンヂとか、エガちゃんのポストカードとか(笑)。そのヴィレヴァンはライブハウスも併設されていて、友達がミニライブをやってたり、文化祭の買い出しにも使ったりして」

 

 Aさんの学生時代はちょうど、ヴィレッジヴァンガードがニューメディア(CD・DVD)の品揃えを充実させていた時期と重なる。きっと気の利いた店長さんがいたんだろう。彼女はそのお店で、現代文化の奥深くへと入門できたのだと思った。

 

 Aさんとは地方都市の何もなさで意気投合したが、青春時代の過ごし方ならBさんは僕に近い。サブカルチャーとは縁遠く、受験勉強と就職活動に勤しんで、古くからある地元企業で働いている。趣味は(車での)旅行と宴会で、テレビドラマと飲酒・喫煙を楽しみに毎晩を過ごしている。

 

「(ヴィレッジヴァンガードに)行ったことはあるよ。友達が大好きで、よく連れて行かれてた。でも何が面白いのか全然わからなかった。通路も狭いし、照明も暗いし、あとなんか商品がごちゃごちゃしてるし……。見て回るのは楽しいと思うけど、なんか変わった商品ばっかりだし、どれを買えばいいのか分からなかったかなぁ」

 

 彼女は流行りの文化に疎い。村上春樹なんて読んだことはなく、細田守が誰かは知らず、初音ミクはテレビで見たと言う。艦隊これくしょんの説明は僕が断念した。

 文脈棚がいかにすごい発明かを説明しても、「そんなの分からないよ。もっとスーパーマーケットとか普通の雑貨屋みたいにしたらいいと思う」と無関心。文化と文化のつながりに興味がないとなると、個々の商品は、コミュニケーションツールとしてさえ機能できない。ふだん使う文房具や生活雑貨は、どこで買うかを聞いてみた。

 

「ふつうに本屋へ行くよ。あとは駅ビルのお店とか。最近はもう疲れちゃって、休みの日ならいいんだけど、平日に車で遠出するのはちょっとしんどいんだよね」

 

 驚いたことに、彼女はヴィレッジヴァンガードを本屋だと思っていなかった。最近読んだ本はと聞くと、仕事で使う資格の問題集だと答えた。上京する機会があれば、下北沢のヴィレッジヴァンガードに行ってみるといいですよ、あそこは面白いですと僕は伝えた。

 

ウェアラブルな文化、カジュアルな日用品

 

 5人の話と、僕が調べたことをまとめると、店のコンセプトにネガティブだった2人は、その変化を知らなかった。僕は「書店ではなくなっていったこと」を残念がっていた。雑貨屋として足しげく通っていた2人は、サブカルチャーとは何かをもう知らない世代の青春を過ごしていた。あとの1人は日々の暮らしに押しつぶされそうになっていた。

 もちろんサンプル数5の取材で世論を代弁させるつもりはなくて、「ヴィレヴァン」がどんな人たちからどう愛され、嫌われてきたかはもっと細かく調べられる。

 ただ、その「あとの1人」に、文化消費の楽しみや深さを、少しでも味わってもらうにはどうすればいいだろう、と僕は考えている。ただでさえ仕事と家庭にかかりきりで、自分のためのお金と時間が作れない。元々体育会系な彼は、「本を読み通したことなんて人生で一回もないかもしれない」とも言っていた。

 

 彼に何を伝えてあげればいいのか。マニアックな歴史を一から教えられはしないし、流行りものをこれから追いかけさせるのも酷だろう。生煮えの知識を覚えたせいで、周りから馬鹿にされるのも不憫だ。文化に詳しい人には野暮だと笑われ、はなから興味を持たない人には気取りだとからかわれてしまう。そう考えていくと、部屋で使える・着こなせる文化を売りものにする、ヴィレッジヴァンガードのような店舗の存在感は、ぐっと増して来る。僕からも贈りやすい。

 ライフスタイルの一部を、ウェアラブルな文化で簡単に飾りつけること。そうした文化の消費作法は、伝統的なコンテンツ消費でも、現代的なコミュニケーション消費でもないかもしれない。創業者の回想録でも夢見られていなかった。

 だけど「でもそれでいいんですよ」と彼は言いそうな気がする。なぜかは彼の著作を読めばわかる。それに、そもそも原義での「サブカルチャー」は、自ら語るべき文化を持たない人の暮らしを擁護したのではなかったか。

 

 

 

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笠井康平

笠井康平

ねとぽよでは記者と編集のお手伝いをしています。

文芸誌「新古典派フィクションズ」の主宰で、ひっそり小説も書いています。

日本文学史とウェブカルチャーに詳しくなって、この国の歴史と文化の最適な記述法を編み出したい。