女の子はジョジョが読めないだと!?

『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦、1987年、集英社)(以下ジョジョ)がそもそも女の子向けの作品ではないことは、読んだことのある人ならご存じかと思います。

 

ジョジョの奇妙な冒険 1 (ジャンプ・コミックス)

 

 もともと私はオタク文化に親しかったこともあって、好奇心で読み切ることができました。ところが女友達に読ませてみると、3巻までで手を止めてしまうのです。「読んでいて疲れるから」というのです。確かにジョジョは、少年漫画。絵柄も内容も、男性向けであることが強く表れていますが――。

 

 今回私は、ジョジョに登場する女性キャラクターに注目したいと思います。なぜジョジョの、女の子に注目するのか。ジョジョには、ひとつのテーマがあるからです。作者・荒木飛呂彦はこう語っています。

 

『人間賛歌とうたったのは、ロボットの話にはいかないという意思でもあったんですよ。ロボットと人間の戦いとか、そういうSF的なお話にはしない。漫画の中に科学兵器が現れて、それで敵と戦うってこともないです。何かしらの武器は持つかもしれないけど、人間の強い心こそが敵を打ち負かす、それがジョジョのテーマです。』

(ダ・ヴィンチ2012年8月号インタビュー内にて)

 

 ジョジョは、物語全体を通して、「人間」を扱っています。ジョジョたちは「人間」であるがゆえに、人を愛し、子を授かる。その子供たちは、部を越えて、ジョジョの血と一緒に、戦うという宿命を受け継いでいく。それは、この作品に隠された鍵の一つでしょう。だとすれば、作中でジョジョたちの血を継承して、次世代へと繋いでいく「女性」にあえて注目してみることは、ジョジョの「奇妙な冒険」そのものを見つめることに繋がるはずです。また、それを通じて、ジョジョは男性向け漫画だという思い込みがある女性に、少しでも面白さを伝えられたら、と思います。

 

「強さ」を武器にする女たち

祈ること、力を持たないことの「強さ」

 ジョジョは部立ごとに、時代設定や描かれる女性の姿が大きく変わります。最初の2部とその後の部が、特に大きく異なります。最初の2部は物語性を重視しています。キャラクターの心情や関係性を中心に作品が作り上げられていて、読者の視点は物語の内容に注がれていくのです。女性キャラクターたちもまた、それぞれの「強さ」をもつ存在として、物語に取り込まれていきます。

 具体的に見ていきましょう。女性の「強さ」を魅せるキャラクターとして、エリナ・ジョースターが挙げられます。ジョジョに登場する女性の中では珍しく、エリナは特別な能力をもたない普通の女性です。けれどもエリナは、自分の不甲斐なさや無力さに打ちひしがれることがありません。だからこそ、仲間たちの無事を誰よりも祈り、見守り続ける彼女の気持ちは、ジョナサンやジョセフにまっすぐ向かいます。

 それを無力だとは言えないでしょう。彼女の気丈さが、ジョジョの心を陰から支えているわけですから。(リサリサやホリィの持つ)波紋やスタンドとは別の「強さ」を、エリナは背負っているのです。だからエリナの祈りは、読者の胸にも強く響いてゆく。話の展開が気になって、ページをめくる手が止まらなくなります。

 

山岸由花子という転換点~身近にいそうな女の子たち

 しかし、そうした女性像は、4部で一転します。

 

ジョジョの奇妙な冒険 41 (ジャンプ・コミックス)

 

正直なところ3部までの、ジョジョたちを陰から力強く支える女性像には圧倒されるばかりでした。でも4部では、ジョジョのキャラクターたちに一途に恋して、自ら追いかけていく女の子たちが描かれる。一気に親近感が湧きました

 たとえば、山岸由花子。「恋に一途な女の子」をギュッと凝縮したキャラクターです。いきなり恋の相手の広瀬康一を呼び出して、「康一くんのこと全て好きなんです!」と告白する。その後も「あたしのこと嫌いですか?」「好きですか?」と質問攻めにしたり、手編みのセーターや豪華なお弁当をプレゼントしたりする。最後にはなんと、康一を監禁(!)してしまいます。ヤンデレらしさも感じられる、「重い女」としてコミカルに描かれる彼女です。

 ちなみに、ねとぽよの男性陣には「山岸由花子が身近な女の子なのww?  あれは漫画世界の話でしょ?」と言ってる人もいましたが、皆様いかがでしょう。漫画世界なら良かったものの、現実にもいますよね? 少なくとも私の周りには何人か心当たりがあるのですが……。

 

 川尻しのぶも面白いです。ジョジョたちの敵役・吉良吉影に恋してしまう、悪い男に惹かれがちな女性。恋することに幸せを感じていて、現実の私たちに近い心理で動く。この作品との距離をグッと縮めてくれる女の子です。

 物語の鍵を握る、杉本鈴美という女の子も登場しました。恋する女の子ではありませんが、彼女の大量殺人鬼への憎しみは、それまでのジョジョとは異質の、私たちの心の深いところにあるものを表してくれるように感じます。

 4部で身近な女の子の「強さ」が描かれたことで、ジョジョは作品としての一つの転換点を迎えたと言えると思います。5部以降、ジョジョに登場する女の子たちは、最初から「強い」だけのキャラクターではなくなるのです。

 表現の力点も、女の子たちが「成長」する姿を描くことへと移っていきます。

 

目に見える「成長」が、宿命に終止符を打つ

 ジョジョの魅力として、壮大な物語をあげる人がいます。しかし、その描き方をみると、確かに初期の2部では物語を描くことに大きな重点が置かれているのですが、ジョジョの作風はそこから徐々に変わっていったように思います。作品の重心が、読者にキャラクターを「見せること」へと移っているのではないでしょうか。私は、「物語性から漫画性への変化」だと思いました。2部までは目に見えない武器として描かれた「波紋」も、3部以降には「スタンド」として登場して、可視化されます。そうすると、キャラクターが読者に与える視覚的インパクトが全く違って来る。女の子の「強さ」も、より具体的な「成長」へと変化していきます。

 

ジョジョの奇妙な冒険 53 (ジャンプ・コミックス)

 

 たとえば、5部のヒロインであるトリッシュ・ウナは、はじめはスタンド能力を持たない「私たちの身近にも居そうな女の子」でした。ジョジョたちに守られてばかりの存在だったわけです。しかし彼女は、「成長」します。仲間全員が死ぬかもしれない、絶体絶命の状況に陥ったとき、彼女は突如目覚めたスタンド能力で、見事に仲間全員を救出するのです。

 

ストーンオーシャン 3 ジョジョの奇妙な冒険 第6部 (ジャンプ・コミックス)

 

 この「成長」というテーマは、6部において決定的なものとなりました。まず、主人公が空条徐倫という女の子になりました。仲間の多くも女性キャラクターです。はじめは周囲に文句ばかり言っていた徐倫でしたが、ほかのキャラクターたちと比べても著しく「成長」していきます。自分の命を守るためだけに使っていたスタンド能力も、父親や仲間を助ける武器へと鍛えていく。その姿はとても凛々しいものです。

 

「重力」と「運命」

荒木が描いた女たちの「運命」と「強さ」

 そうして描かれた6部は、ジョジョの血を巡る宿命に、女の子である徐倫が一区切りをつける物語でした。

 最終巻の作者コメント欄で、荒木飛呂彦はこう述べています。

 

説明するのがムズかしいんだけれど、マンガを描いていると『重力』の存在というモノをすごく感じる(唐突ですけど)。

つまり作者はアイデアだとか、主人公の行動をコントロールしてストーリーを進行させていると世間一般で思われているようだけど、そうじゃあない事が描いている時にあって、主人公が作者の意に反して行動せざるを得ない時とか、絵にも描かざるを得ない絵というのが出てくる。これをぼくは『重力』と感じ、『重力』とは『運命』だと感じるのだ。

 

 重力とは運命——女の子の描かれ方に注意してみると、『ジョジョの奇妙な冒険』は、女の子たちが物語を大きく動かす「運命=重力」と「強さ=成長」を獲得していく作品として読むことができます。スタンドや精神力でジョジョたちをしたたかに支えた女の子たちは、やがて物語の中で成長するようになり、仲間の命を守る救世主にすらなっていったのだ、と。

 

 そしてこのことは、ジョジョという作品が「物語性から漫画性へ」と、表現の力点を変えたことにもパラレルになっているといえます。荒木の描く作品と読者の距離感が変わってゆくのです。1部・2部の女性たちは、一線を越えて心の「強さ」を持つ、遠い存在でした。しかし4部では、読者のところにまで目線を下げた「身近に居そうな女性」が描かれました。5部・6部に入ると、「成長」する女の子にだんだんとスポットが当てられていきます。女性たちの描かれ方が変わるにつれて、作中での存在感も増していくのです。

 

ルーシーが見せた新しい流れ、そして広瀬康穂へ

 それでは、最近のジョジョはどうでしょうか。スティール・ボール・ランには14歳のルーシー・スティールが登場します。年長の夫スティーブンが何者かの陰謀により殺されそうになっていると知った彼女は、夫を守るべく、命をかけて敵の懐に潜り込みます。私はその姿を見て3部までに描かれた女性の心の「強さ」を、身近な女の子が当たり前に持つ「強さ」として描いたのだと推測しました。

 

STEEL BALL RUN vol.13―ジョジョの奇妙な冒険Part7 (13) (ジャンプコミックス)

 

 そうして終盤、彼女はスタンド能力に目覚めました。そして物語を大きく動かす存在となっていきます。でも私は正直、彼女はスタンドに目覚める前のほうが格好良かったと感じました。彼女が当初持っていた、リサリサたちのような心の強さのみで闘いぬく姿はとても魅力的で、彼女の行動一つ一つに読んでいてワクワクしたりドキドキしました。でも、スタンド能力に目覚めてからは、その魅力を彼女から感じなくなってしまいます。聖なる遺体という道具として扱われる彼女の姿からは謎の違和感を感じたのです。

 荒木はこの時、どうして彼女にスタンド能力を授けたのでしょうか。彼女はスタンドを持たずとも最後まで戦い抜ける力を持っていたのではないか。私はそう思えて仕方ありません。現在連載中のジョジョリオンで、カギを握る女性として描かれている広瀬康穂もまた、スタンド能力に目覚めていますが、まだそれを自覚していません。一体、この後はどのように動いていくのでしょうか。

 

 

 ジョジョの女の子たちは、「成長=強さ」を手にすることで、「運命=重力」を担うようになりました。数話前までごく普通だった女の子が、主人公たちを支え、守り、共に戦う覚悟を決める。やがて、ほかのキャラクターたちの「運命」を動かしていく。そのとき彼女たちの「強さ=重力」は、物語を動かすだけでなく、人の心を震わせ、ときめかせる希望としても描かれていました。

 でも、その「重力」に一番惑わされたのは、筆者の荒木飛呂彦なのかもしれないと私は思うのです。というのも、実は荒木が描く女性キャラクターは、常に必ずどこか弱さがあるんですね。たとえばそれは、幼さだったり、恋に一途すぎるところだったり。でも、それはもしかすると、女性キャラクターのもつ「重力」に、荒木自身が負けないための戦略ではないでしょうか。彼女たちの「弱さ」は、作者なりの抵抗だったのかもしれません。

 

 

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