「ウェブロマンスに疲れたら読みたい日本の恋愛の約20冊」を書きました。

 

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はじめの思いつきを書いたドキュメントの作成日は2013年3月でした。

どうして「インターネットの先端文化を追いかける雑誌」である「ねとぽよ」が、「恋愛」を「特集」し、そこに「文学史」の「書評」が載っているのか。思い出そうとしてるんですが、当時の「感じ」があやふやになっています。

 

実質編集長が部内で公開したメモから引くと、世間で語られる恋愛論は3つに大別できます。それによると、恋愛とは、(1)動物としての本能であり、(2)人それぞれの主観であって、(3)歴史的に作られた文化でもある

よくある恋愛指南は(2)に傾きがちだけれど、その背後には(3)の力が働いている。それが分かれば、恋愛の構造がすっきり見えてくる。もしくは思いきって(1)に立ち戻ったほうがいい。そのほうが、恋する人が考え悩むあれこれを、さっぱり説明できることもある。

 

だとしたら、日本のインターネットで知り合った僕たちは、最近どんな恋をしてきたのか。それは、どの言葉やふるまいで表現したらかっこいいのか。また逆に、インターネットが当たり前にある社会で、僕たちはどんな恋が「できずにいるのか」。何が僕たちを妨げているのか。

今号はそれを明らかにしようとした雑誌です。とくに(3)文化としての恋愛の消息を、現代日本の情報社会に注目して探しています。目次はこんな風になっています。

 

ついにWeb販売開始 「ねとぽよSP3 恋愛特集」の目次を紹介します – netpoyo広報ブログ

 

7つの記事はそれぞれに、インターネットと恋愛について取材し、考え、書いています。

ウェブ時代の恋愛小説はどう書けるか。ウェブネイティブたちはどんな恋をしてきたか。オンライン上で擬似恋愛が生まれた理由はどう説明できるか。情報技術を使って恋愛をもっと楽しくしたい。どういうコミュニティサービスを作れば誰もが自由に恋を遊べるだろう。生態学から見て、ヒトの恋愛とはどういう営みか。

 

そして僕は、インターネットが生まれる前に人はどんな恋愛をしていたか調べることになりました。図書館へ通い、古書を漁り、文献DBを巡回して、この国の千年の恋愛表現史を駆け足で眺めてきました

そのなかで、僕の考えも変わりました。

 

鳥の目でみた、日本の恋愛

草稿にはこんなふうに書かれていました。

 

愛情とは「遠さ」のことだ。きっと分かり合えない他人同士が、「通じあえた気がする」というエラー/バグを積み重ねていく、その足あとの確認と更新だ。

愛情の、制度や関係の在り方は、時代ごと、相手ごとに変わったけれど、「好きな人と話したい、会いたい、触れたい、近寄りたい」という人の気持ちは変わらない。淡い好意の芽生えと立ち消えのくりかえしだ。そのようにふわっとした感じは、大げさで耳年増なネタpostでは語りづらい。

そこで、ネットにおける恋愛の諸相を点検しながら、日本文学史に「よく似た事例」をあてはめていく。すると、現代日本のウェブカルチャーが陥りがちな、恋愛の作法を浮き彫りにできる。それはおそらく、新旧さまざまな物語の集約形だろう。例えばテレビ時代の恋愛ゲームや、映画が提示した理想のラブロマンス、漫画が体現した「ドラマティックであること」への憧れ、雑誌が皮肉にも獲得したメタ志向など。「面白くて、楽しくて、みんなに自慢できる、素敵で、豪華で、忘れられない恋がしたい!」という。

でも、そんなふうにてんこ盛りの恋愛幻想は、ふつうの人がいつまでも目指すのには厄介だ。ところがインターネットは、そんな「増やしていく恋愛」を、強烈に、万人に提供してくれる。20世紀的な情報メディアの利点を併せ持った、速くて/多くて/絶えまない情報共有ツールだからだ。

 

インターネットの内外で起きていることは、この国の文化史の縮図であり、無数の気持ちの足あとだと思っていたようです。恋愛も同じだと考えて、いっちょ調べることにしたのでしょう。

これまでには、2つの経過報告を公開しました。

 

ラブストーリー・オン・ライン――「記録技術による恋愛」の千年史・序説 | ねとぽよ

 

 

Portable Sex in the City――「江戸」へ、ウェブロマンスの祖先を探しに | ねとぽよ

 

 

ざっくりまとめると、僕が見てきた限りでは、この国の恋愛は、

  1. お金を暇を持て余した貴族の遊びから、
  2. 主従関係や「家」制度を管理するために、武士(騎士)たちが育んだ倫理となって、
  3. やがて庶民たちの贅沢な娯楽として秘かにもてはやされ、
  4. ほぼすべての人が性愛を楽しめるコミュニケーションのゲームに変わりました。

 もちろんその歴史の裏では、

  • 貧しさや愚かさのせいで、望まない婚姻や出産を強いられた人の悲しみも(A)
  • 空想や財産の力で、性欲とはかけ離れた、過激な恋愛に挑んだ人の熱気も(B)
  • そもそも恋することを許されなかった人、欲しなかった人の無情も(C)

大量に残っていました。

 

”日本人”は簡素に恋愛していた 

それでもやっぱり人は動物で、性愛行動には定型があるからでしょうか。

4世紀単位のマクロな見立てを作りましたが、フェイズの推移はフラクタルな構造を避けがたく持ってしまうらしい。おおまかには「平安時代は(1)が主流で云々」と記せそうなのですけど、どの時代にも(1)~(4)の、そして(A)~(C)の事例が折りたたまれてあって、「◯◯時代の恋愛」と言うやつが本当にあるのか、よくわかりませんでした。

恋愛表現のトレンドも、大きく空想→求愛→生殖→給餌→育成→老衰→ふりだしに戻ると移り変わっているようでしたが、これも時代、国、社会、世間、個人…etcなど複数の層へばらばらに訪れるものですから、いろいろなバリエーションが際限なく作れることになります。

 

もっとも、フェイズが切り替わる条件は、コミュニティの人数と、経過年月、富裕度、余暇時間、イベント数、階層化、情報量などが規定するみたいです。ちなみに、恋愛表現の精緻化は、貨幣経済の進展と見事にシンクロしていました。言い換えれば、人は、暮らしが楽になると、恋をするようになる

分かりやすくいうと、少なすぎない人数がいて、わりと打ちとけており、みんなそこそこ食べて行けて、暇な時間もたっぷりあって、折々の行事もふんだん、棲み分けやマッチングも上手くいっていて、関連知識も知れ渡っていると、そこには恋愛が生まれるようです。ちょっと呆れました。簡素だなぁ人類は、と思って。

 

その歴史をざっくりまとめた記事です

裏返せば、そうでなければ恋愛の発生と維持は過酷になります。だからネット社会は恋がしにくい/しやすいと感じている人がいるとしたら、身の回りor頭のなかの何かが、邪魔or手助けをしているんだと思います。その「何か」の大きさや回数、強さに応じて、僕たちの恋愛は無数に表現できるし、抑圧されるし、秘匿される。現に千年以上前からずっと、そのようにして記述されてきたわけです。

もちろん、そのすべてを書きつくすことはできませんし、読みとおすことはできません。

恋愛は人の数だけあるのだから、どこかで「どれもこれもみんな同じだ!」と見なさなければ、情熱と苦悩の洪水で、頭がどうにかなってしまいます。もっと、さっと分かりたい。

 

そこで、選書記事です。

日本の恋愛にかかわる本を、平安、江戸、明治、現代から4,5冊ずつ取り上げています

ついでにそれぞれの時代について、ちょっとした解説もつけています。

和歌はLINEスタンプみたいなものなんだよとか、遊郭文化はニコニコ動画と通じるところがあるよとか、明治の文豪の悩みはネットユーザと同じだよとか、インターネットと比べながら説明しています。

 

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難易度別に、「はじめて、その次、それから、さらには」の4基準で選んでいます。

漫画に小説、歴史書、学術書まで。文庫も、新書も、古書もあります。

 

日本文学史のすべては語っていませんが、「知っていて損はないところ」は押さえられたかな。

 

――と、書きながら数えなおしたら、41冊ありました。

えっと……、お得な記事です。はい。

総計約1.2万字。8分で読めます。

 

よさげな本があったら、手にとってみてください

ぴんと来なくても、書名だけでも覚えておけば、いつか役立つ時が来るかも。

 

 

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笠井康平

笠井康平

ねとぽよでは記者と編集のお手伝いをしています。

文芸誌「新古典派フィクションズ」の主宰で、ひっそり小説も書いています。

日本文学史とウェブカルチャーに詳しくなって、この国の歴史と文化の最適な記述法を編み出したい。