※ 夢小説を知らない方は、こちらの解説記事を読んでからお読みください(編集部注)

 

 職業柄、「たくさん本読んでるんでしょう」と聞かれることが多い。

 そういう時、「いえ……全然読んでないんです……恥ずかしながら」と、いつも小声で答えてきた。謙遜じゃなくて事実だから死にたくなる。言葉に詰まるし、コンプレックスくで苦しむこともあった――さすがに、「夢小説ならば、尋常じゃない量を読んでますよ」とは言いにくかった。

 

夢小説との出会い~まだクッキーがなかったあの頃

 私がパソコンに触れたのは、小学三年生の頃だった。その頃は、まだパソコンの普及率も低く、私のネット体験は早かった方だと思う。最初は何に使えばいいかよく分からなかったけれど、即座に虜になった。ブラインドタッチを覚えたら、それだけでクラスメイトから尊敬のまなざしを浴びてしまい、私にはハッカーの才能があるのではないかと勘違いしたこともあった。

「夢小説」との出会いは、本当に偶然だった。オリジナル小説を読んでいる最中に発見し、夢って何? 名前変換って何? とわけのわからないまま迷い込み、一目惚れのごとく一瞬で夢に堕ちた。今では、「芥川賞取った作品読んどこう……」「あの作家さんの新作は……」というような基準で本を選びがちだけれど、当時は、プロかアマかなど関係なく、身近に転がっている文章を、面白ければなんでもいいやと気楽に読んでいた。そんな私には、図書室よりもパソコンの中に広がるインターネットの世界の方が、ずっと身近で刺激的だった。

 ハリーポッターの世界に入りたくて仕方なかった私は、すぐに「原作沿い夢」にどっぷりハマった。まだクッキー機能も実装されていなかった頃だ。いちいちJavaScriptのコマンドで名前変換を要求されるのは面倒だったけれど、名前入力を繰り返すのは自分に呪文をかけているようで、それもなんだか愛しかった。

 紙の本や映画よりも、名前変換のできる夢小説の方が深く没頭できた。夢小説を読むのが面白すぎて、学校に行きたくなくなるほどだった。ここは、なんて理想郷なんだろうと思った。私は今でも、本や映画を見るときには少なからず、「ここではないどこかに行きたい」という気持ちでページを開く。夢小説は、その願望をどんな媒体よりも叶えてくれた。

 

夢小説に片想い~私は無限の図書館を手に入れた

  夢小説の“夢”とはいったい何の夢なんだろう。二次元に入り込める「夢」? 名前変換で自分ではない誰かに変身できるシンデレラ的な「夢」? 甘かったり切なかったったりする恋を疑似体験できる「夢」? どれも当てはまる気がするし、他の夢読者に聞けば、また違う答えが返ってくるのかもしれないから、尋ねてみたい。

 私は、夢小説の持つ、耽美な世界観や、自分をお姫様にしてくれる描写にも心を掴まれたけれど、特に、それこそ「夢」のような恋愛に夢中になった。

 

 こんな純愛はなかった。

 

 スクールカーストとか女の子社会での立ち回りとか何も考えず、貴方(キャラ)が好きだという愛情だけに溺れていられる。非現実的かもしれないけれど、私にとっては、夢小説に描かれている世界にこそ美しい恋愛があった。当時の私が好きだった夢小説には、私とキャラの世界の二者間関係のことばかりが描かれていた。些細なすれ違いこそあれど、社会的な問題で苦しんだり、友情との折り合いで恋愛を捨てざるをえなかったりするようなことはなかった。好きなキャラのことだけを想っていられた。

 なんて幸せなんだろうと思った。これは小説で、恋人も、そこに描かれている主人公も、「私」ではない。それなのに、好きなキャラクターとの現実ではかなわない疑似体験で、とても満たされた気持ちになれたのだ。いっそ、この中で生きたいと本気で思った。竜宮城に未練たらたらの浦島太郎ばりに。
 決して手の届かないことも、それが夢なのもわかっているけれど、憧れの世界と大好きなキャラクターが出てくる物語そのものに、現実の私は片想いしていたのだ。

 夢小説の検索エンジンを巡りながら、私は無限の図書館を手に入れたのだと思った。更新が滞ると、失恋したような気分になった。学校が終わると、図書室ではなくパソコンの検索エンジンへ直行。そして、いろんなジャンルの夢小説を読み漁った。

 

王子様が来ないから~自分の夢で誰かが幸せに……?

  初めて書いた夢小説がどんなものだったか、もう覚えていない。

 けれど、リドルとの夢ばかり書いていた記憶がある。孤独な野心家と寄り添うことが、幸せだと頑なに信じていた齢十才。「セカイ系」なんて言葉は当時もちろんなかったけれど、宿題も学校も親も何もかも投げ打って好きな人のために死ねたら本望じゃね? みたいな甘い夢に酔っていた。

 リドルに会いたくて、ハリポタの世界に入り込みたくて、自分が幸せになるために書いていたけれど、公開したときに細やかながら感想をもらえたこともあった。汚い欲望だと思っていたもので、誰かが幸せになってくれるなんて……と、とても驚いた。だけど、自分の望みばかりを書きなぐっていたので、今思い返しても、やっぱり正直、か、な、り、恥ずかしい。

 ただただ、自分で自分を救うために文章を書いていたと思う。夢小説は、王子様を産み落とす装置だった。私は王子様に夢見る少女だったけれど、王子様を待つ少女じゃない。王子様が欲しい。でも、王子はいない。じゃあ作ればいい。そんな気持ちで、書いていた。

 

 そしてそれは、学校が嫌いだった私の、自己救済装置でもあった。

 

夢小説好きと、新宿の廃校で出会ってしまった。

  そんなこんなで夢小説を書いていた私だけれど、実は受験をきっかけに、ぱったり卒業してしまった。それは「進路」という言葉に直面した時、ふと現実に帰ったからだ。いくら大好きで、私を幸せにしてくれるからといって、これってただの現実逃避かもしれないし、人に話せる話題でもないし、テストにも出ないし、どうせ読むなら太宰治とか三島由紀夫とか読んでた方がいいのかな……。

 いつか夢から醒めて現実に戻らなければいけないように、もう、夢小説も卒業しなければいけないよね……と迷っていた。そんなときに、夢への窓口だったハリーポッタードリームサーチという検索エンジンが閉鎖したこともあって、きっぱり私は夢小説から離れてしまった。

 

 

 それからの私は、趣味の欄に書けるようなことを好きにならなければ、と焦っていた。インターネット以外にやってきたことが特になかったからだ。

 紙の本はほとんど読んでいなかったけれど、一応趣味は「読書」ということにしていて、そのくせ本棚に並んでいるような作家の名前は大して知らなかった。素敵サイト様なら腐るほど知っていたけれど。「受験」で現実と戦わざるをえなくなった時に、遅ればせながら気がついたのだ――教養とか、きっと必要なんだろうな、と。だいぶ絶望した。教養とは、文化の広い知識や、共通の話題、のことを言うらしい。夢小説の話なんて超個人的なものにすぎないしな、と、マグル界への帰還を決した

 

 

 けれど。
 新宿の廃校で、夢小説好きのたくさんの女の子と出会ってしまった。

 

 

 マグル界への帰還から数年、古今の文豪たちの名作もなんとか「読んでます」と言えるようになり、当時のことを「黒歴史」としてすっかり葬り去っていたつもりの私が、大学を卒業しようとしていた時期だった。ちょうど卒業後も、文章を書くマグルとしての道を歩もうと決意した頃だったと思う。「ねとぽよ」なるインターネット文化を探求している男性たちの集団に、よくわからないまま不思議なイベントに誘われた

 

 

 このイベントに続いて、その後も同じ廃校でねとぽよが行った「放課後インターネット2」、そしてこの間のマホウトコロのオフ……そこで、夢小説のどんなジャンルが好きか、どんな読み方をしていたか、など、オープンな場ではあまり話す話題ではないと思っていたことを口にすることができた。記憶の彼方に追いやっていた夢小説のことが、これほど誰かと共有できる話題として熱く話せるものだと初めて知り、そして本当はとてもとても誰かに話したいことだったんだと気づいた。

 

 

 インターネット文化はこれだけ普及しているんだから、好きな映画や本の話をするように語ってもいいんだ――そう思った時、妙に胸がぽかぽかした。

 そして、ふと、ずっとコンプレックスとして抱いていた「教養」という言葉が頭に浮かんだ。もしかしたら、このインターネット文化だって、「教養」のように扱ってもいいのかもしれない。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』でも、イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』でもなく、夢主が不老不死設定でリドル世代親世代子世代をまたぎそれぞれのキャラクターに寄り添う壮大な二次創作が、私を泣かせていた。だから、それでいいじゃん、とようやく思えた。

 好きなものは好き。夢小説をもってして「趣味は読書」と言い張っていたあの頃の私を、抹殺しなくてもいいんだ。私に影響を与えた作家はドストエフスキーや谷崎潤一郎なんかじゃなく、表には名前が出ていないたくさんの管理人

 

 文学が人を救うものだというのなら、私を救ってくれた、たくさんの夢小説は私にとっての文学だった……それは言い過ぎだろうか。でも、私たちが読み書きしていたものは「駄文失礼;;」や「お目汚し」なんかじゃないってことだけは確信してる。

 

夢小説のこれから。

 夢小説を読まなくなってから、五年近くが経っていた。

 秘めた思い出として埋もれていくはずのものだったし、夢小説を再び読んだり書いたりする日が来るとは思っていなかった。ものすごく長い現実逃避の時代、周囲の人には絶対に隠し通すべき「黒歴史」の時代だったと、後悔の念に駆られてしまうこともなくはなかった。けれど、夢小説を読み書きしていたことが私を作っているのは間違いないし、今はちょっぴり誇ってもいる。

 

 実は私は現在、ゲーム会社所属のシナリオライターと文筆業との二足の草鞋で生計をたてている。(詳細は言及しない/滝汗)

 夢小説に溺れていたあの頃、それが好きで好きで、書いているのが楽しくて仕方がなかったけれど、これじゃあご飯を食べていけなさそうだから……と離れた。真面目に受験して忘れ去るつもりでいたし、役に立たないものかもしれない、と思っていた。それなのに結局、あの頃があったおかげで、いまの生活が成り立っている。すべてのきっかけは夢小説だったのに。それを葬ろうとしていたなんて、寂しいことをしようとしていたなぁと思う。

 

 そして文章を書くことを生業にした今、夢小説を振り返ってみて、あの文化がより輝かしく見える

 私は、夢小説で書いたり読んだりしていた以上の純愛を、ほかの媒体で書ける気がしない。そして、久しぶりにいろんなサイトを巡りながら、こんなに作家性の強い世界だったっけと驚いた。

 夢小説は、管理人と読者がとても近い願望を持っている場合が多い。「好きなキャラクターや、世界に触れたい」という願いだ。オリジナル小説ならば、もっと読者との距離に気を使わなければならないところを、夢は簡単にクリアできる。読者と管理人(作者)の相性がよい分、管理人は好きなことを書きやすいし、それが読者にそのまま喜ばれることも多い。だから、作家性が色濃く出ても、敬遠されたりすることが少ないのかもしれない。私自身も、ハリポタの夢小説でリドルが出ていれば、主張が強く荒々しい文章でも嬉々として読む。

 商業文筆家に片足突っ込んだ今、夢小説のような、作家性がすくすく育つ土壌に居られたことがすごく嬉しく思うし、これから、そういったネットの二次創作文化の中から新しい文化の流れが出てくる予感がしている。それに、最近の夢小説事情を見ていると、ツィッターが普及したおかげだろうか、管理人同士や読者との交流、オフ会がとても多いようで、正直羨ましい。彼女たちの世代も、そこからきっと新しい文化を作っていくのだろう。

 

 

 小学生の頃のあの夢の延長線上に、現在の私があるのだな――この文章を書きながら、しみじみとそう思った。単なる黒歴史だと切り捨てようとしていたけれど、やっぱり夢小説は私の大事な一部だ。だから今では、夢小説での体験を、もっと現在の仕事に活かしたいと思っている。

 社会人になり、書くことを仕事にしてから、自由気ままに読み書きする時間はめっきり減ってしまった。だけど、今でもまだ、放課後すぐ家に帰って、夜更けまでリンクを飛び回り、夢を追いかけていたあの頃のように、憧れの世界に浸って過ごしたいな、と、書き疲れた夜なんかに、思う。

 次の日は会社があって、仕事があって、Fix日が迫っていて、夢の中に居座り続けることはもうできない。けれども、ディスプレイの前で見るつかの間の夢も、きっと私たちをパワーアップさせて、現実に向かう力を与えてくれる。あの頃、居場所がなかった私を、夢小説が救ってくれていたように。今の私は、そう信じています。

 

 

 そんなことを考えつつ、今回のハリポタ映画再放送に合わせて続けた連載企画
 ハリポタ、ェームズ夢の、ラストです。

 

 

 もちろん苦手な方は、回れ右してこちらから。
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 よろしくお願いいたします(暗黒微笑

 

不眠症の眠り姫~後編 ジェームズ視点/夢主視点

 ※ 前編はこちらから→ジェームズ視点/夢主視点

  中編はこちらから→ジェームズ視点/夢主視点

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