「この牛乳が大好きで、生まれたころからずっと飲んでいます。トスカナだとは知らなかったのだけど。」

――ジェフ・ベゾス、2006年8月にAmazonカスタマーレビュー欄で

 

考古学者や宇宙旅行者になりたかった少年

 

CEO OF THE INTERNET ジェフ・ベゾス、かく語りき(WIRED Single Stories 010)

 

 幼いころ、Amazonの創業者は考古学者になりたかったらしい。

 ジェフ・ベゾス(1964-)は変わりものだが学業に優秀な男の子だった。祖父は軍事関係者だった。宇宙飛行や弾道ミサイル防衛、衛星による核実験の探知に携わっていた。そのせいか宇宙旅行に憧れて、遊び道具の発明やSF小説に熱中したあと、10代でコンピュータの魅力に出会い、物理学からコンピュータサイエンスへ専攻を変えた。

 評伝たちは、彼はキューバ系移民の養父に育てられたと書いている。4歳から16歳までのあいだには、夏休みに祖父の牧場で、牛の世話や農業機械の修理をして過ごした。高校時代は科学と数学の学生コンテストで何度も最優秀賞に選ばれた。プリンストン大学に出した卒業論文は、DNAの塩基配列を計算するシステムの設計について。夏休みにはIBMのプログラマとして石油関連事業で働いた。

 

 そして、すぐには起業しなかった。金融機関向けの通信ネットワーク・インフラを作る会社に2年間勤めた。すぐに転職して、投資銀行のシステム管理を請け負う会社で、26歳にして副社長(日本では課長相当)になった。それがある日、上司に命じられ、ネットビジネスの可能性を調べていると、とんでもない成長市場だとわかる。

 熟慮と相談のすえに、退職してオンライン書店を開くと決めた彼は、妻を連れてシアトルへ引っ越した。やがて1994年7月に、自宅のガレージで新会社を設立する。そして創業からわずか7ヶ月で、社名を「カブダラ・コム」から「アマゾン・コム」へ変えた。弁護士から「死体(カダバー)と聞きまちがえた」と――遠回しにダサいと――指摘されたかららしい。

 

 その後は、盛んに記述され、報じられている通りだ。Amazonは、eコーマス分野で地球最大のプラットフォーマーになろうとしている。ここですべては紹介しきれない。代わりに話題の交通整理がしたい。

 ベゾスの商法の是非を論じるのではなく、彼の会社がどんな時流のなかで、何を夢見ているかを描写したい。Amazonとその創業者は、先進各国の商品流通をどのように変えたか。それを受けた大衆文化市場が、どんな姿になりつつあるか。おおまかな見取り図を示せればと思う。つまりこれはやや長い書評だ。

 

Amazonは本屋ではない

 

ジェフ・ベゾス 果てなき野望―

 

 だから、まずは復習しておきたい。ジェフ・ベゾスはどんな会社を作ったのか。

メディア産業界ではよく言われているが、Amazonはすでに「本屋」ではなくなっている。音楽ファイルから電子機器、紙おむつ、生鮮食品までを扱う巨大な小売業社に育ったからだ。そう説明されることが多い。

 それはそうだが、それだけではない。ジェフ・ベゾスは、はやくも2000年にブルーオリジン社へ投資し、宇宙航空事業に進出していた。Amazon Web Service(AWS)が好調で、立ち上げ当初から、クラウドコンピューティングの技術トレンドを先取りしているようだ。2013年8月には、彼が個人で老舗新聞社ワシントン・ポストを買収した。稼ぎ頭はAWS、ブランディングがブルーオリジンとワシントン・ポスト、顧客拡大がAmazon.comといったところか。

 

【急増するAmazon互換クラウド】[1]IaaSの選択基準が変わった
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20131029/514666/

 

 さらに同社は当初、自社在庫をなるべく多く・長く持たずにいようとした。物理的限界から断念されたが、あらゆる本の書誌が載ったオンラインカタログを目指していた。自社在庫を多く抱えるようになってからも、巨大な物流センターを各地に作っている。つまり、取次(問屋)の機能を吸収しつつある。

 出版事業にも手を伸ばしたところだ。ニッチ銘柄を発掘する自社出版社「Amazon Publishing」や、詩集など少部数の本を注文印刷できる「Amazonプリント・オン・デマンド」を展開してもいる。サイト内文芸誌「マトグロッソ」は日本で評判になった。米国では週刊文芸誌「Day One」も始まった。

 そうして得た収益の、ほとんどを新規事業への投資へ注ぎ込んで、毎期ごとの決算報告では「予定通りに」純利益の赤字を出し続けている。

 

今期も赤字!アマゾンの驚くべき経営手法が分かるたった1枚のグラフ
http://newclassic.jp/archives/2439

 

 その筆頭が、言わずと知れたKindleシリーズの開発・販売だろう。「総合書店」を「購入端末」に小型化しようとしている。Kindle Storeの関連サービスは、KDPによる自費出版プラットフォームの開設に始まって、Kindle Worldではファン・フィクションの公式化・営利化に着手。今春にはソーシャル読書サービスGoodReadsを買収して、双方の書評コミュニティをつないだ。米国Amazonでは、Kindle MatchBooksと題して、紙版購入者に無料か廉価でkindle版を提供するサービスも始まった。書籍にとどまらず、実写ドラマやデジタルゲームの開発にも乗り出している。

 

AmazonもNetflixに対抗し、今月からオリジナル作品の配信を本格化
http://blogos.com/article/73275/

 

 これらは何を目指した取り組みなのか。さまざまな論評がなされてきたが、ごく大雑把にAmazonは“貨幣に準ずるもの”になろうとしているとは言えるかもしれない。「現代人が暮らしに欠かせないものを入手するとき、お金の次に、なくては困るもの」になろうとしているのだ。この会社は、20世紀に商店街が、百貨店が、スーパーマーケットが、そしてコンビニエンスストアが担ってきた機能を、そっくり仮想化しつつある。仕入れと支払いと帳簿の集約だ。

 

元Amazon社員が明かす、”最強の捕食者“Amazonのビジネスモデルとは?
http://gigazine.net/news/20131029-amazon-as-apex-predator/

 

 日本では、ダイエー創業者の中内功や、トーハンの副会長にしてセブン-イレブン・ジャパンのCEOだった鈴木敏文を引き合いに出すと分かりやすい。かっこよく言えば、彼は国際情報社会の新しい「スーパーマーケットの天皇」(©大江健三郎)なのだ。『万延元年のフットボール』に登場するそのキャラクターは、高度経済成長期の日本の小さな村で、生活必需品を盛んに特売して、村人たちに愛されていた。奇しくも21世紀の世界中で、Amazonの創業者がそうであるように。少なくともウェブメディアにおいて、象徴的には。

 

アマゾン:赤字でも問題ない本当の理由
http://wired.jp/2013/10/31/amazon-overseas-strength/

 

Amazonをめぐる広大な物語

 

 もっとも、Amazonの事業が地球全土で成功しているわけではない。出版事業は苦戦が噂されている。日本市場では、タブレット販売も電子書籍の普及もまだこれからだ。米国でも過去に、ペット用品やオークションの事業に失敗している。

 フランス国民議会は同社を狙い打ちして、無料配送を禁止する法案を可決した。多国籍企業による租税回避の規制は、主要国首脳会議でも焦眉の議題だ。そしていまも、たぶん将来も、Kindle Storeで買えない本は、買える本よりも多いだろう(一般人が生涯に読めそうな数よりは、すでに多いけれど)。

 いずれにせよジェフ・ベゾスと彼の会社は、経済小説やビジネス書、時事報道の格好の題材だ。刊行された著作も10冊を越えた。回顧録があり、経営モデル分析があり、労働現場の暴露があり、報道のまとめがあり、人物評伝がある。各著の紹介は別に書くが、どれか1冊の評伝を読むといい。

 

 リチャード・ブランド「ワンクリック―ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛」(2012年・日経BP社・井口耕二訳:原題「One Click: Jeff Bezos and the Rise of Amazon」)には、彼の生い立ちやAmazonのビジネスモデルが最適に要約されている。和書では脇英世「アマゾン・コムの野望―ジェフ・ベゾスの経営哲学」(2011年・東京電機大学出版局)もいい。世間で大げさに言われる伝説や風聞を、さまざまな資料から丁寧に検証していて、正否を問いなおしている。序章の記述も主に2冊を参照した。

 

ワンクリック アマゾン・コムの野望 ─ジェフ・ベゾスの経営哲学

 

 僕が大好きなのは、ジェームズ・マーカス「アマゾン・ドット・コム成功の舞台裏 元トップエディターが語るアマゾンの軌跡」(2005年・インプレス・星睦訳:原題「Amazonia: Five Years at the Epicenter of the Dot.Com Juggernau」)だ。売れない書評家が、ヘッドハンティングされて社内エディターとして活躍していたのに、会社の方針転換でお払い箱にされるまでの記録が、エモーショナルに書かれている。

 

amazonia アマゾン・ドット・コム成功の舞台裏 元トップエディターが語るアマゾンの軌跡

 

 創業からしばらくは、社員総出の徹夜で商品を荷造りするような、昔ながらの書店運営だった。そこから本屋の発展史をものすごい速さで追体験して、先行者を抜き去っていった。書籍データベースや配送管理システムの完成度と、注文操作の特許取得が勝因だったと言われる。

 その過渡期にジェームズは入社して、同社が文脈棚をレコメンデーションへ、職業書評をカスタマーレビューへと切り替えることで、「地球最大の書店」に育つのを間近で見ていた。そして、職を失った。

 

現代文学的にずるいプラットフォーマー

 

 ジェフ・ベゾスはそうした膨大な嘘と真実の渦中にいて、空想上のストーリーではなく、実在するサービスの作者として、はっきりと新しい物語を創り出している。

 しかもたとえば文藝春秋の創業者菊池寛や、西武百貨店の取締役店長だった辻井喬(堤清二)とはちがって、彼自身は署名くらいしか公表しないのに、文化市場を動かして、流行を生み出している

 

 20世紀の優れた現代芸術家たちは、あるいはわずかな作品だけで、芸術市場のルールを裏返し、作り変えてしまった。とはいえ彼らは少なくとも、現代芸術のプレーヤーではあった。

 ところがジェフ・ベゾスは、ひとつの巨大な情報プラットフォームの運営者ではあっても、彼個人が芸術作品を世に問うことはないし、彼自身を商品にすることもない。新しい言葉や視点を生み、育てること。それが文学者なり、芸術家の仕事なのだとすれば、ジェフ・ベゾスは「実作には関わらないのに」もっとも文学的で、芸術的な達成を着々と続けている。

 正直、ずるいなぁと思う。半世紀先の文化史には、「Kindleを購入すれば、古今東西の傑作が、どれでも・いつでも楽しめた。この“作品”を世に送り出したのは、Amazonの経営者ジェフ・ベゾスだった」とだけ書かれて、「古今東西の傑作」のことは省略せざるをえなくなるかもしれない。そのとき、「傑作」はどうなってしまうのか

 

コミュニケーション・コストは仮想化できるか

 

 どういうことか。「傑作」を読み・書くとき、僕たちは何にお金を払っているのかを考えてほしい。

 抽象化して、著者と読者に上下関係はなく、「傑作」は常に完全に優れていて、コミュニケーションコストがほぼ存在しない場があるとする。そこで人は、大好きな「傑作」の持ち主が探せる。手持ちの「傑作」を欲しい人が見つけられる。「傑作」自身も、著者と読者を探すだろう。

 お見合いサイトや求職サイトと同じ運営モデルだ。「傑作」をやり取りする手間が減れば減るほど、コミュニケーションは活発になる。「傑作」自体も、速やかに・安価で・大量に作れるほうがいい。たとえば参加は無料で、コミュニケーションが成立するたびに課金されるするなどして。

 Kindle Storeは、日本ではまだ「豊かな県の都市部にある大きな書店」くらいの品揃えだけれど、原理的にはこのモデルを目指している。コミュニケーションコストとは、配送料や倉庫代、印刷費、制作費、そして人件費のことだ。

 

 現実には「人が生涯に読み・書けることの量」が歯止めをかける。けれどもAmazonの理念を純化させていくと、「傑作」(とその著者・読者)の生産・供給は、不眠不休で・無料で・無尽蔵なほうが望ましい。著者と読者は、自分の「傑作」をかけがえのないものにしたい。対して市場はその「傑作」を、誰でも入手できて、いくらでも代わりがあるものに近づける性質を持つのだ。

 

 もちろんこの性質は、市場そのものが持つ、多くの制限によってコントロールされてきた。言語には壁があり、好みは人それぞれ、どの「傑作」も数に限りがあって、いずれ古びるといったように。さまざまな慣習は、こうした制限が具現化したものだった。出版業界を例にとると、通販サイトが普及するまでは、書店に自由な値下げを許さない制度がなければ、専門書は採算がとれなくて、早々に市場から消えていたろう。販売データの分析と予測が進まないまま、売れ残りはいくらでも返品できる制度をやめたら、売れるか分からない本の出版と注文はためらわれて、出版点数はすぐに頭打ちしただろう。

 

 ところがそれが変わりつつある。引き金はインターネットだ。通信と物流の加速だ。

 着想そのものは、第二次大戦後のコンピュータ開発とともに始まった。J.C.R.リックライダーが「未来の図書館」を構想したのは1965年(ほぼ半世紀前!)のことだ。同じ着想は、J・L・ボルヘス「バベルの図書館」(1941)が、現実に先んじて物語にしてもいた。

 そのあいだも出版物の量は増えつづけてきた。1965年から2013年までに、日本の印刷書籍の新刊発行点数は、約5.5倍に増えた(14,728点から82,204点)。それに合わせて著者も、読者も増えた。

 目の前では巨大書店が着々と増え、小書店が続々と廃業している。情報の無料化に苦渋する「紙の雑誌」の群れが、有料化を切望する「Web記事」の群れに追いつかれ、呑み込まれている構図だ。しかし大きく眺めれば、この変化は、止むことのない情報の増加――つまり僕らの読みたい・書きたいという意志が引き起こしている。

 

 その”意志”に応えるべく、戦後日本の出版史は、漫画と雑誌の大量印刷を基盤として、出版物の多様性を守ることを目指してきた。その裏ではインターネットが、長い歳月をかけてその代わりを担おうとしてきた。だから今がある。書店の大型化は1980年代から始まっていたし、Webページの天文学的な増加は今さら指摘するまでもない。全貌はとても見通せないし、1冊の「傑作」が持つ重みも目減りしている。

 KADOKAWA生誕記念電子書籍半額セールはその臨界点だった。僕たちは日本中で、生野菜を買うように本を選んだ。

 

「本」の市場の意志と習慣

 

 Amazonは、そうした時流に最適化した組織として、拡大と成長をいまだ終えない。すでに米国Kindle Storeでは、個人出版されたe-bookがすごい勢いで増えている。市販書は値下げが恒常化して、現地書店の商慣習がひび割れを起こしている。同じことは日本でも起きつつあって、僕がいた書店でも、つらいことが、書ききれないほどずっと続いた。

 

 国際化する大衆出版は、「選ばれた人が書いた、数少ない本を、多くの人たちが、ずっと大切に読む習慣」を壊している。皮肉にも、「自分だけが書いた、数少ない本を、多くの人たちに、ずっと大切に読まれたい意志」が、そうさせている。クローズド志向の習慣と、オープン化したい意志のぶつかり合いだ。

 文化経済学は、コンテンツ産業で起きているこの事態を、国内文化の現在形を守るか、国際市場の開放圧力を受け入れるかのせめぎあいだと見ている。とろけるチーズのビーフ・カレーうどんみたいに、世界の文化は各地で紛争と和睦をくりかえしたあと、やがて混ざり合うだろうと考えられているのだ。

 

 習慣は「傑作」を格上げする。意志は「傑作」を値下げする。文化史はいつも後者を勝たせてきた。王朝和歌は滅び、俳諧連歌は廃れ、近代文学は終わった。代わって軍記が生まれ、戯作が流行り、現代文学が始まった。

 どちらを歓迎するかは人それぞれだ。ライトノベルが流行れば、翻訳小説の肩身は狭くなる。英米小説の作法で書かれなければ、夏目漱石も、大江健三郎も、村上春樹も、海外でこれほど読まれなかっただろう。初音ミクは理解されたが、淫夢動画は輸出しにくい。薄めなければ広まらないが、濃くしていないと満ち足りない。

 

 『ワンクリック』によると、Amazonが創業した当初、社員たちは「すべての顧客のブラウザに、欲しい本が1冊だけ表示されている状態を作るのが理想」だと冗談を言い合っていたらしい。

 店舗や貨幣どころか、記録やコミュニケーションのコストさえ不要な世界。それが読書家の理想郷なのだとしたら、ジェフ・ベゾスはそんな未来へ人類が近づくための、歴史的に重要な人物を「現実に」演じていると言えそうだ。しかもそのために彼は、世界中で使える仮想店舗を作り、仮想通貨を発行し、仮想の蔵書庫を管理しながら、人々の多様なコミュニケーションを支援している! なんという皮肉だと思う。

 あらゆるコンテンツを仮想化しようとするAmazonの理念と姿勢は、有史以来ずっと続く出版文化のもっとも忠実な――つまりは危ない継承者のそれだろう。

 Amazonは出版文化の「何を」壊すのか。ほぼすべて、あるいは何も。

 

 

 

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笠井康平

笠井康平

ねとぽよでは記者と編集のお手伝いをしています。

文芸誌「新古典派フィクションズ」の主宰で、ひっそり小説も書いています。

日本文学史とウェブカルチャーに詳しくなって、この国の歴史と文化の最適な記述法を編み出したい。