考えるな、感じろ。

――『燃えよドラゴン』(1973年)

真実は綿密に調査し、統計的に分析するものであって、感じ取るものではないのだ。

――『運は数学にまかせなさい』(2007年)

 

 匿名、筆名、実名を問わず、「日本のインターネットの歴史なら私にも語れるぞ!」と言わんばかりに、オンラインへ大小の力作を発表する大人たちの姿をよく見かけるようになりました。

 記事の数はたぶん数百から数万で、「流行」どころか「風潮」とさえ言えない小さな動きでしょう。日本にはTwitterユーザが2000万人くらいいるっぽいです(ニールセンによるPC経由のユーザ数調査を、日本国内のPC普及率で割った概数)。それに比べたら、懐かしいインターネットをめぐる昔話は、まだ「局所的なブーム」にもなっていません。

 とはいえ他方で、前世紀から続いてきたインターネット利用者の社会調査は日増しに充実しています。インプレスR&D社が今年の2月21日に「インターネット白書」のバックナンバーを無料公開しました。1996年から2012年までの17年分が、好きなだけ読み放題。一般に参考になる情報源の宝庫です。

 たとえば1996年の資料によると、JCIとインプレスが調べたところ、当時に日本でインターネットをしていた女性は、全体の4~5%しかいなかったよう。昭和初期の女流作家くらい少ないですね……なんて知ったようなことが、誰でも・気軽に言えるようになったわけです。すばらしい。

 

ケータイは、日本を変えたか

『ケータイの2000年代 成熟するモバイル社会』もその流れのひとつでしょう。

 

ケータイの2000年代: 成熟するモバイル社会

 

 2001年から2011年まで――つまり日本でポケベルがすっかり廃れて、スマートフォンが普及する前夜までに、この国で携帯電話が普及したことで、社会はどれほど変わったのか。対象者数が150人弱と多くない調査もありますが、分析結果がどこまで信頼できるのか、きちんとした統計手法で検証されています。

 10人の研究者が書いた14本の論文集です。本書をつらぬく主題は、「ケータイという新しい情報メディアは、日本でコミュニケーションの形を変えたのか」。2010~2012年に行われた3つの調査を分析しています。

 この手の調査書を読んでいて楽しいのは、「ここから先は、推定ですよ。信じられるのは、ここまでですよ」と、必ず明記されてあるところです。たとえば、こんな一節を読んでみてください。

 にもかかわらず、私たちは易々と”世代”を論じ、”時代”を証言してしまう。俗流世代論は精緻な文化研究の普及を妨げ、無用のいらだちと誤解を生むと知りながら、「若者」を怪物にし、「高齢者」を巨悪に見立て、「新時代」を四半期決算ごとに使い捨てる。”過ぎ去った時の懐かしさ”や”流行に乗り遅れる不安”は、誰にでも分け隔てなく与えられる、思い出のための共有インフラだからだ。それぞれの情報端末に保存された”輝かしい私たちの時代”が、すべて等しく古びることはあり得ないのである。

――無断転載

 こういった、「威勢はいいけど根拠がない」ウェブカルチャー語りの、真偽を確かめる手がかりにもなるでしょう。ここでは本書に書かれたいくつかの指摘を、ざっくり要約しながら取り上げてみます。数値が調査書の価値のひとつですから、実数は書籍でお確かめを。

 

「リア充」と「ネト充」のちがいは?

 さて、ふだんから「ねとぽよ」を読んでいる方には、「メディア利用にみる恋愛・ネットワーク・家族形成」が読みどころでしょうか。いわゆる「リア充」と「ネト充」のちがいを、真正面から明らかにしようとしています。初めに、2005年に行われた「第6回 青少年の性行動全国調査」を受けて、

 

「この調査結果では、学生のケータイ・メールのヘビー・ユーザーとパソコンのヘビーユーザーが重ならないことが指摘されている。このうち高校生・大学生では、ケータイ・メールのヘビーユーザーは、休日の勉強時間が少なく、学校での友人関係が良好であり、週に1度以上街に遊びに行く傾向が見られるが、パソコンのヘビーユーザーは、休日の勉強時間が長く、学校の友人関係に不適応を示しており、街へ遊びに行く頻度も月に1回以下となっている」

――「メディア利用にみる恋愛・ネットワーク・家族形成」P153

 

 なんて身も蓋もない分析を展開しています。僕がまだ学生だった頃の調査です。それから6年経って、日本のネット・ユーザーの恋愛経験の程度は、どう変わったか。同論文は、モバイルコミュニケーション研究会による2011年の調査を分析し、次のように結論しています。

 

交際経験者の男性は、交際未経験者と比較して、インターネット依存度が低く、SNSでの情報発信をおこなう率が高かった。交際経験者の利用特性は、戸外での遊興活動に関わるインターネット・サイトの道具的利用であり、交際未経験者ではインターネット上における遊興を目的としたコンサマトリーな利用が確認された。[…]社交にメディア利用を役立てようとしているか、社交から離脱しようメディアを利用するのかという分極化だと解釈できる」

――「メディア利用にみる恋愛・ネットワーク・家族形成」P166

 

 同論文は、「リア充」と「ネト充」の分極化が、学生に限らず、社会人の男性にも見られたとし、「休日のPCインターネット利用と生活満足度とは負の相関がある。この相関の意味は、インターネットを利用する時間が長くなればなるほど、生活満足度が下がるということである」とまで述べています。

 みなさんの体感はどうですか。身近に「例外」や「新世代」は見つかりますか。

 

(わりとみんな)僕は友達が少ない(らしい)

 ちなみに、2000年から2013年までに、日本の携帯電話の契約数は、5200万台から1億3200万台に増えました(出典)。本書の調べによれば、私たちは、「ケータイは犯罪の温床」「電波が人体に悪影響」といった不安を、昔ほど感じなくなっているようです(「ケータイ・ネットはいかに日常化したか」より)。

 ケータイ経由のネット接続は、2011年時点ではまだ国民の68%が使っているにすぎないけれど、暮らしのなかにケータイがどっぷり根をおろしたことで、私たちはこま切れの時間をつまみ食いするように、娯楽やニュース、生活情報を消費するようになりました(「ケータイユーザのインターネット利用」より)。

 とはいえ「まったく新しいライフスタイルが、突如として出現した」のではなくて、90年代に生まれたポケベル文化の名残りが、そのまま00年代のウェブコミュニケーションへも流れこんでいるよう。この方の書き込みが良い例ですね。

 

実は、漏れもポケベル愛用者だったよ(w

その後携帯のショートメールに移行して、iモードに落ち着いたけどな

ベル打ちだと高速ブラインドタッチが可能なんだよなw

ポケベルが流行っていた時代。「ベル友になって下さい」の見知らぬ着信が、嫁との出会いだった : 幸せが歩いてきた!(旧)より)

 

「モバイルは他のメディアとどう違うのか」では、日本人のケータイの使い方を論じています。「40歳以上の人は固定電話にしろケータイにしろ通話をより多く使う」「相手によって通話とメールを使い分けている」と指摘。さらにどの年齢層の人たちも、「友達と仲良くなるために、主にはテキストでのやり取りを、外出先でする」ことが特徴だと結論しています。

  しかも意外なことに、この10年で人々の「友達の数」や「付き合いの深さ」は<縮小>傾向にある。友人関係も、<希薄化>したのではなく、<濃密化>している。ケータイは、おそらくそれを促している(「ケータイは友人関係を変えたのか」を要約)。だから俗説で言われるような、モバイル端末が人間関係を<拡張>し<平面化>するといったイメージは、どうやら正しくない。なぜ・どの程度そうなったのかは、「ケータイは社会資本たりうるか」で詳しく検証されています。

 

「自意識」を増やすのはSNSだけじゃない

 そして、最後にもうひとつ。僕は「SNSは「私」を変えるか ケータイ・ネットと自己の多元化」をおすすめします。00年代の初頭から、「ソーシャルメディアは人々の自己意識(=「私」)を複数化する」という主張が、まことしやかに語られてきました。それらを論拠に、何らかの革命的な新時代だかの到来や実現などを予見した評論も、いくつも書かれたようです。

 ところが同論文によれば、たしかにSNSは利用者の「私」を多元化しやすいけれど、もっともそれはSNSに限ったことではない。ウェブサービス全般について、「ふだんあまり会わない友人」とつながっていて、写真に関する機能をよく使っているユーザーは、「私」が多元化しやすい。

 しかもその傾向は、SNSをパソコンからよく用いている人に限られる。一部のケータイ小説論が不用意に語っていた主張とはちがって、ケータイの利用者が・たくさんの友人と・頻繁に・多くの機能を使っていても、「私」が多元化するとは限らない。さらにはこの「デバイス依存の差」が、スマートフォン普及以降も残存するかも、調べてみないと分からない。

 だから少なくともこの調査の対象者については、「インターネットは現代日本人の自意識をキャラ化した」という主張は、誤っているか、大げさか、定義の不備か、特例を無前提に一般化していると察しが付く。本書を読めば、そのような視点が持てます。

 

お詫びと訂正

 著者のひとり辻大介氏が、ブログでこう書いています。

 

5400円+税はやっぱりちょっと高いなあとは思いますが、これでも執筆者は印税なしで価格は最大限抑えたのですよ。

[info] 『ケータイの2000年代』刊行されました – 思考錯誤より)

 

 やっぱり値段は高価ですけれど、3人でシェアすれば1人1,800円ほどで買えます。自腹を切るゆとりがない方は、お近くの図書館へ注文を出すと良いでしょう。ふんいきネット文化語りで恥をかく前に、こっそり読んでおくのがおすすめです。

 なぜかを分かりやすく示すために、僕はこの書評で2つの嘘を吐きました。 「無断転載」と記した引用の出典はありません。僕がその場ででっち上げた空論です。また、「ケータイ経由のネット接続は、2011年時点ではまだ国民の68%が使っているにすぎない」は、誤りです。実際は、「68%」よりずっと少ない。事実は本書に書かれています。まずはお近くの書店または図書館で、立ち読みしてみてください。

 ウェブ記事よりも書籍のほうが信頼できると言いたいのではありません。文字は誰にでも嘘を許してくれる優しいメディアだから、そう簡単に信じてはいけないのです。”常識”は”現実”を見落としがちです。他でもなくこの書評がそうであるように、お手軽ネット文化論は、今日もオンラインで盛んに行われています。その多くはカジュアルでフリーな居酒屋談義に過ぎません。なのに僕は、いったい何をそんなにムキになっているのか……。

 反省しています。でも、気をつけてくださいね。「うそをうそと見抜ける人でないと難しい」のは、インターネットに書かれた言葉だけではないのです。

 粗く作られたまとめや要約さえあれば、ふだんの暮らしに事欠くことはよほどないでしょうが、信じ過ぎも疑い過ぎもしなくていいように、記述の確からしさを見定める手続きは知っておいたほうがいいですね。

 

 

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笠井康平

笠井康平

ねとぽよでは記者と編集のお手伝いをしています。

文芸誌「新古典派フィクションズ」の主宰で、ひっそり小説も書いています。

日本文学史とウェブカルチャーに詳しくなって、この国の歴史と文化の最適な記述法を編み出したい。